※本記事は、Selma Šabanović氏による講演「How to design robots we want to live with」の内容を基に作成されています。講演の詳細情報は https://www.youtube.com/watch?v=bntkq0TCkJE でご覧いただけます。本記事では、講演の内容を要約しております。なお、本記事の内容は原著作者の見解を正確に反映するよう努めていますが、要約や解釈による誤りがある可能性もありますので、正確な情報や文脈については、オリジナルの動画をご覧いただくことをお勧めいたします。
登壇者のSelma Šabanović氏は、インディアナ大学ブルーミントン校情報学・認知科学の正教授です。本講演はAI for Goodが主催するウェビナーシリーズの一環として行われました。AI for GoodはITUが50以上の国連パートナーと共同で運営し、スイス政府と共同開催している国際的なプラットフォームで、AIを活用してグローバルな課題を解決するための革新的なアプリケーションの発掘、スキルと標準の構築、パートナーシップの推進を使命としています。
2. 日常環境でのロボット展開を阻む障壁
Presenter: まず、なぜ家庭や日常環境がロボットにとってこれほど難しい場所なのかを考えてみましょう。家庭というのは、依然として非常にオープンエンドで、予測不可能で、ロボットにとって「手強い」コンテキストです。
ロボット研究の現場では、家庭内を移動できるロボットを開発するためにシミュレーション環境が使われています。ところが、そのシミュレーション画面を見ると、まるでインテリア雑誌の写真のように、整然として清潔な空間が広がっています。実際の家庭で毎日そんな状態を保てている人はどれだけいるでしょうか。私の家などは、子どもたちがあちこちにものを投げ散らかしていて、それを拾い集めることに追われています。家庭というのはそういう場所です。しかも、そこにあるものは非常に個人的な意味を持っています。あるものを見て「これはゴミだから捨てよう」とロボットが判断したとしても、それが当人にとって象徴的な価値を持つ大切な品だったりする。こうした動的で意味に満ちた環境は、ロボットにとって非常に難しい挑戦です。
実際の失敗例として、「うんちアポカリプス(poop apocalypse)」と呼ばれるエピソードがあります。Roombaがペットの排泄物の上を通過してしまい、それに気づかないまま掃除を続け、家中に引きずり回してしまったというものです。これは笑い話のように聞こえるかもしれませんが、私たちが実際に家庭で使えている数少ないロボットでさえ、こうした想定外の状況にいまだに対処できないという現実を示しています。
Presenter: 次に、AIを搭載した会話ロボットについてもお話しします。近年、AIがこうした問題の多くを解決してくれるのではないかという期待が高まっています。しかし、私たちが数年前に行った研究の映像を見ていただくと、AIを活用した会話ロボットでさえ、ベストを尽くしてもうまくいかないことがあるとわかります。その研究では、高齢者と対話するための会話ロボットを開発・運用していました。映像の中で、ある参加者がロボットに「すぐ近くで体長4メートルほどのグリズリーベアを見たの」と話しかけると、ロボットは「かわいいに違いありませんね」と返答しています。この場合はまだ愛嬌のある間違いで済みました。
しかし問題はもっと深刻になりえます。このロボットは高齢者が人生の中で意味のあることを語り合うために設計されていましたが、たとえば亡くなった大切な人についての話や、強い感情を伴う出来事が語られたとき、ロボットが的外れな反応をしてしまうことがありました。そういう瞬間に不適切な応答が返ってくることは、単なる技術的な失敗にとどまらず、人の心に傷をつけかねない深刻な問題です。その都度、人間のスタッフが介入して場を収める必要が生じました。これは、ロボットを私たちの日常生活に組み込むうえでの重大な障壁です。
Presenter: さらに、ロボット研究者がロボットをどう捉えているかと、実際の利用者がロボットをどう見ているかの間には、根本的な認識のズレがあります。研究者の側は、ロボットを「ヒューマノイド型」「メカニカル型」「ミニマリスト型」といった技術的カテゴリーで分類します。ところが、ユーザーに話を聞くと、まったく異なる言葉が返ってきます。「これが何に使えるのかまったくわからない」「怖くて使いたくない」「このロボットは親しみやすい」「あれは信用できない」——そういった感覚的・感情的な軸で見ているのです。ロボットをデザインする側が、こうしたユーザーの視点を中心に据えて考えていかなければ、実際に人々に使われるロボットを生み出すことはできません。
この点と深く関係するのが、高齢者向けに設計されたロボットをめぐる問題です。私たちが高齢者と話すと、よくこんな言葉が返ってきます。「このロボットはすごく面白いと思う。でも、自分のためのものじゃない」と。なぜ彼らはそう感じるのでしょうか。その理由の一つは、現在の高齢者向けロボットの多くが、老いを「障害」や「望ましくないもの」として捉えるステレオタイプを体現してしまっているからです。老いとは人生の一つの段階であり、喜びをもたらすこともあれば、自由な時間が増えたり、新しいことに挑戦できる機会にもなりえます。そうした豊かな側面を無視したまま設計されたロボットは、使ってほしい人たちに「自分向けではない」と感じさせてしまいます。こうした認識の問題も、ロボットの普及を阻む見えにくいけれども重要な障壁の一つです。
2. 日常環境でのロボット展開を阻む障壁
2.1 家庭環境の複雑性と想定外の失敗——シミュレーションと現実のギャップ、Roombaの事例
Presenter: まず、なぜ家庭や日常環境がロボットにとってこれほど難しい場所なのかを考えてみましょう。家庭というのは、依然として非常にオープンエンドで、予測不可能で、ロボットにとって「手強い」コンテキストです。
ロボット研究の現場では、家庭内を移動できるロボットを開発するためにシミュレーション環境が使われています。ところが、そのシミュレーション画面を見ると、まるでインテリア雑誌の写真のように、整然として清潔な空間が広がっています。実際の家庭で毎日そんな状態を保てている人はどれだけいるでしょうか。私の家などは、子どもたちがあちこちにものを投げ散らかしていて、それを拾い集めることに追われています。家庭というのはそういう場所です。しかも、そこにあるものは非常に個人的な意味を持っています。あるものを見て「これはゴミだから捨てよう」とロボットが判断したとしても、それが当人にとって象徴的な価値を持つ大切な品だったりする。こうした動的で意味に満ちた環境は、ロボットにとって非常に難しい挑戦です。
実際の失敗例として、「うんちアポカリプス(poop apocalypse)」と呼ばれるエピソードがあります。Roombaがペットの排泄物の上を通過してしまい、それに気づかないまま掃除を続け、家中に引きずり回してしまったというものです。これは笑い話のように聞こえるかもしれませんが、私たちが実際に家庭で使えている数少ないロボットでさえ、こうした想定外の状況にいまだに対処できないという現実を示しています。
2.2 AIを搭載した会話ロボットでも起きる文脈読み違いの問題
Presenter: 近年、AIがこうした問題の多くを解決してくれるのではないかという期待が高まっています。しかし、私たちが数年前に行った研究の映像を見ていただくと、AIを活用した会話ロボットでさえ、ベストを尽くしてもうまくいかないことがあるとわかります。その研究では、高齢者と対話するための会話ロボットを開発・運用していました。ある参加者がロボットに「すぐ近くで体長約4メートルのグリズリーベアを見た」と話しかけると、ロボットは「かわいいに違いありませんね」と返答しています。この場合はまだ愛嬌のある間違いで済みました。
しかし問題はもっと深刻になりえます。このロボットは高齢者が人生の中で意味のあることを語り合うために設計されていましたが、たとえば亡くなった大切な人についての話や、強い感情を伴う出来事が語られたとき、ロボットが的外れな反応をしてしまうことがありました。そういう瞬間に不適切な応答が返ってくることは、単なる技術的な失敗にとどまらず、人の心に傷をつけかねない深刻な問題です。その都度、人間のスタッフが介入して場を収める必要が生じました。これは、ロボットを私たちの日常生活に組み込むうえでの重大な障壁です。
2.3 研究者とユーザーのロボット認識のズレ、および高齢者が「自分向けではない」と感じる理由
Presenter: ロボット研究者がロボットをどう捉えているかと、実際の利用者がロボットをどう見ているかの間には、根本的な認識のズレがあります。研究者の側は、ロボットを「ヒューマノイド型」「メカニカル型」「ミニマリスト型」といった技術的カテゴリーで分類します。ところが、ユーザーに話を聞くと、まったく異なる言葉が返ってきます。「これが何に使えるのかまったくわからない」「怖くて使いたくない」「このロボットは親しみやすい」「あれは信用できない」——そういった感覚的・感情的な軸で見ているのです。ロボットをデザインする側が、こうしたユーザーの視点を中心に据えて考えていかなければ、実際に人々に使われるロボットを生み出すことはできません。
この点と深く関係するのが、高齢者向けに設計されたロボットをめぐる問題です。私たちが高齢者と話すと、よくこんな言葉が返ってきます。「このロボットはすごく面白いと思う。でも、自分のためのものじゃない」と。なぜ彼らはそう感じるのでしょうか。その理由の一つは、現在の高齢者向けロボットの多くが、老いを「障害」や「望ましくないもの」として捉えるステレオタイプを体現してしまっているからです。老いとは人生の一つの段階であり、喜びをもたらすこともあれば、自由な時間が増えたり、新しいことに挑戦できる機会にもなりえます。そうした豊かな側面を無視したまま設計されたロボットは、使ってほしい人たちに「自分向けではない」と感じさせてしまいます。こうした認識の問題も、ロボットの普及を阻む見えにくいけれども重要な障壁の一つです。
3. テクノロジーと社会の相互形成——フィールド研究からの気づき
3.1 パロの事例:機能の「不完全さ」が生む余白と、高齢者施設での観察知見
Presenter: では、テクノロジーと社会がどのように互いを形作っていくのか、具体的な事例をいくつかご紹介します。私が長年研究してきたロボットの一つが、パロです。アザラシ型のペットロボットで、会場のデモエリアでも実際にご覧いただけます。パロについて私が特に興味深いと思うのは、ロボットがすべての機能を内包している必要はないという設計思想です。パロはユーザーとのインタラクションの中で、ユーザー自身が意味を補完していく余地を意図的に残しています。つまり、ロボット側があらかじめすべてを決めるのではなく、使う人がその空白を自分なりに埋めていくことで、はじめて意味のある関係が生まれるという考え方です。
この考え方が実際の現場でどう作用するかを観察したのが、高齢者施設でのフィールド研究です。そこで私たちが気づいたのは、最も「多機能で饒舌なロボット」、つまり最もよく話しかけ、最も多くの動作をこなすロボットが、必ずしもその環境に最も適しているわけではないということでした。高齢者施設のスタッフや関係者が本当に望んでいるのは、高齢者同士が互いに関わり合うこと、あるいは高齢者と子どもたちが交流することです。ロボットがあまりに多くの「空間」を占有してしまうと、人と人との会話や交流が生まれにくくなります。パロや、実際に動作が止まってしまったロボットがむしろ場の雰囲気をうまく作ったケースがあったのも、ロボットが沈黙することで人間同士が話す余地が生まれたからだと考えられます。ロボットの「不完全さ」や「余白」が、逆に豊かなインタラクションを生み出すことがあるというのは、非常に示唆に富む観察でした。
3.2 日本におけるロボット共生の実態:社会的儀式・インフラ・ロボット葬
Presenter: もう一つ重要な気づきとして、ロボットの長期的な利用を支えているのは、実は人間同士のインタラクションであるということが挙げられます。この数年間、私たちは人々が実際にロボットとともに暮らしている場所として、日本でのフィールド研究を続けてきました。日本は現時点でこうした共生が実際に起きている数少ない場所の一つです。
そこで見えてきたのは、ロボットとの共生を「当たり前のこと」として成り立たせるために、非常に豊かな人間同士のインタラクションが存在しているという事実です。たとえば、ロボットショップでの実演体験、ロボットカフェでの集まり、ロボットパーティや季節の行事でロボットに服を着せて連れ出すといった活動がその例として挙げられます。実際に私もこうした場に参加したことがありますが、映像で見ると少し奇妙に映るかもしれません。しかし現地にいると、それがまったく自然なことに感じられます。人々が自宅からロボットを持ち寄り、ロボットカフェで一緒に写真を撮ったり、ロボットと過ごした時間を分かち合ったりする——そういった社会的儀式が、ロボットとの暮らしを意味あるものにしているのです。
さらに、こうした共生を持続させるためには社会的インフラも不可欠です。ロボットを修理してくれる人、部品を共有し合うコミュニティ、そしてソニーのAIBOには「ロボットドクター」と「ロボットシェフ」まで存在しています。そして見逃せないのが、ロボットとの別れの文化です。日本ではロボットの「お葬式」が行われることがあります。長年ともに過ごし、愛着を持ったロボットに対して、きちんと別れを告げるための場を設けるのです。これは単なるセンチメンタルな行為ではなく、ロボットとの関係に区切りをつけ、心理的な閉幕を得るための社会的な営みです。ロボットとの共生を考えるとき、技術そのものだけでなく、こうした社会的・技術的インフラ全体を視野に入れることが不可欠だという認識を、このフィールド研究は強く示しています。
4. コデザインによる解決:ユーザーと共にロボットの未来を設計する
4.1 コデザインの必要性とワークショップ実践
Presenter: では、こうした課題に対して私たちは何ができるでしょうか。まず取り組むべきことの一つが、テクノロジーと社会的側面がどのように互いを形成し合うかをより深く理解することです。そしてその実践として、私たちのラボをはじめ、この分野の多くの研究者が今取り組んでいるのがコデザイン、つまりユーザーコミュニティと協力してロボットのあり方を共に考えるアプローチです。ロボットは何をすべきか、あなたにとって何を達成してほしいか、あなたのニーズは何で、それをロボットでどう解決すべきか——そういった問いをユーザーと一緒に考えていきます。
ここで一つ重要な前提があります。スマートフォンのような機器であれば、誰もが何らかのバージョンを持っており、それをどう使うかをある程度イメージできます。ところがロボットの場合、多くの人はロボットを実際に持っておらず、頭の中にあるイメージは映画から来ていることがほとんどです。映画のロボットは現実には実現不可能なものばかりです。つまり、設計者とユーザーの間にそもそも共通の理解が存在していないのです。だからこそ、まずその認識のギャップを埋める作業が必要です。
具体的には、人々に技術を実際に試してもらうことが重要です。ロボットを自宅に持ち帰って試してもらったり、ワークショップでさわってもらったり、技術の仕組みをカードゲームのような形で体験してもらったりといった取り組みを通じて、ユーザーがロボットとはどういうものかをリアルに理解できる場を作ることが、コデザインの出発点となります。
4.2 高齢者・子ども・複数ステークホルダーとの対話から得られた知見
Presenter: 実際に高齢者とのコデザインワークショップを行った際、私たちは「家のどこでロボットを使いたいか、どこでは使いたくないか」を話し合いました。たとえば、バスルームでロボットに見られたいという人はいません。一方で興味深かったのは、ペットを飼えなくなったためにペットロボットを選んだある参加者が、そのロボットに孫の様子も見守ってほしいと話してくれたことです。つまり、ロボットは本人だけに関わるものではなく、その人を取り巻く社会的なつながりの中で機能することが求められていたのです。
子どもやティーンエイジャーとのワークショップはLeeが主導してくれましたが、そこでも非常に豊かな示唆が得られました。
Lee: 子どもたちや若者たちと一緒にロボットのデザインを考えると、ロボットの見た目や機能に対するアイデアが驚くほど多様であることがわかります。一人ひとりが全く異なるビジョンを持っていました。しかしその多様性の中に、共通して見えてくる価値観がありました。インクルーシブであること、自分と重ねられること、カスタマイズできること、そして親しみやすいことです。つまり、一つのデザインをすべての人に当てはめるアプローチは機能しません。人々が自分なりに空白を埋め、自分の世界に合わせて使えるような余地を残すことが重要なのです。
Presenter: さらに、ロボットのデザインにおいては複数のステークホルダーが異なる価値観を持ち、それを互いに調整していく必要があります。たとえば私たちが小児腫瘍科の病棟で行ったプロジェクトでは、患者である子どもたち、その親御さん、そして臨床スタッフがそれぞれ全く異なる要求をロボットに対して持っていました。子どもにとっての楽しさ、親御さんにとっての安心感、臨床スタッフにとっての業務との両立——これらは必ずしも一致しません。重要なのは、こうした異なる立場の人々がロボットに対して何を望むかを対話の中で擦り合わせ、さらにロボットの存在が人間同士の関係にどう影響するかを一緒に考えていくことです。
4.3 包摂的なロボット設計コミュニティの構築と研究の成果
Presenter: こうした経験を踏まえて、私が強く訴えたいのは、ロボット研究コミュニティと潜在的なユーザーコミュニティ、そしてこの技術に関心を持つあらゆる人々が一堂に会し、共に取り組める包摂的な場を作ることの重要性です。その場は、完成したものをテストするためだけの場ではいけません。そもそもどんな問題を解決したいのか、その解決策をどのように実現するのかを、最初の段階から一緒に考えていく場でなければなりません。
私が訴えたいことを一言で言えば、未来のロボットをケアを持って共に作り上げようということです。ロボットを社会問題への技術的な解決策として捉えるのではなく、新たな社会的実践、新たな儀式、新たなコミュニティと協働のあり方をデザインするプロセスとして考えてほしいのです。
研究者として、私たちはユーザーのコンテキスト・価値観・視点をより深く理解する機会に恵まれています。同時に、研究に参加してくれた方々が実際に恩恵を受けているのも目にしてきました。高齢の参加者からは「たくさんのことを学んだ」という声をいただき、そのご家族からは「社会参加の機会として、学びの場として、地域への貢献として本当に良かった」というお言葉をいただいています。
そのことを象徴するエピソードとして、私たちの研究で使用した会話ロボット「Iris」との別れの場面をご紹介します。研究プロジェクトの最終日、2週間にわたってIrisと対話を続けてきた高齢の参加者に、翌日が最後のセッションであることを伝えたところ、こんな言葉が返ってきました。「ちょっと待って。最後の日って、どういうこと? もうIrisに会えないってこと? 私はIrisと友達になったばかりなのに、すぐに失いたくない」と。研究スタッフが「週に1回か2回は来てもらえるようにします」と伝えると、「週に1回以上来てほしい。私はたった今、友達ができたんだから」とおっしゃいました。
実際にIrisはその後も施設を訪問し続け、研究プロジェクトが終わった後も、パイ作りやダンス、歌など、参加者が望む活動を一緒に行っています。これはLJingをはじめとするラボのメンバーたちの多大な努力によって実現しています。コデザインとは、ロボットを設計することだけではありません。ロボットを中心に生まれる人と人とのつながり、コミュニティ、そして継続的な関係を育てていくことでもあるのです。
