※本記事は、Gary、Harj、Jared、そしてDianaが出演するY Combinatorのポッドキャスト「The Lightcone」の内容を基に作成されています。動画の詳細情報は https://www.youtube.com/watch?v=Hm-ZIiwiN1o でご覧いただけます。本記事では、動画の内容を要約しております。なお、本記事の内容は原著作者の見解を正確に反映するよう努めていますが、要約や解釈による誤りがある可能性もありますので、正確な情報や文脈についてはオリジナルの動画をご覧いただくことをお勧めいたします。Y Combinatorへの応募は https://www.ycombinator.com/apply 、スタートアップでの求人情報は https://www.ycombinator.com/jobs よりご確認いただけます。
本動画の登壇者は以下の4名です。UberやCoinbaseからDoorDash、Flock Safetyまで、他の企業が行き詰まりを感じているところで創業者がどのようにチャンスを見つけるのか、逆張りの賭け——実現するまでは不可能に思えるアイデア——について語ります。
Gary、Harj、Jared、Diana はいずれもY Combinatorのパートナーであり、数多くのスタートアップの創業・成長を支援してきた経験を持ちます。本動画はY Combinatorが運営するポッドキャスト「The Lightcone」の一エピソードとして公開されています。
1. イントロ:逆張りと競争に関する基本思想
Jared: Peter Thielが「競争は敗者のためにある」と言っているように、競争を避けることは起業において根本的に重要な考え方です。今、私たちが関わっているAIスタートアップを見渡すと、AI分野における競争はまた激しさを取り戻しています。では、どうやってその競争に対処するのか。私たちが2001年に立ち返って言えることは、第一原理から考えるということです。逆張りで、かつ正しくあること——それが競争に対処する唯一の方法だと思っています。
Harj: 最近ずっと考えていることがあります。約1年前、私たちはスタートアップのアイデアを探している創業者たちに投資しやすくなったという話をしていました。ピボットしながらアイデアを見つけることができる、そういう時代でした。その背景には二つの要因があったと思います。一つは、AIが新しく、手つかずの領域がとにかく広大だったこと。もう一つは、モデル自体が急激に進化していて、数ヶ月ごとにステップ関数的な改善があり、それがアイデア空間をどんどん押し広げていたことです。その恩恵は今もはっきり見えていて、垂直特化型のAIエージェント企業が非常に好調です。ただ、最近オフィスアワーで創業者たちと話していると、雰囲気が少し変わってきたと感じています。「保険や銀行のような領域でワークフローを自動化すればいい」という単純な話ではなくなってきました。それぞれの垂直領域にすでに複数のスタートアップが存在しているからです。
Jared: そうですね。だからこそ今は、自分だけの独自のインサイトが何か、どんな逆張りの賭けをするのか、ということをより真剣に考えなければならない時期に来ていると思います。では、そもそも「秘密」——つまり自分だけが信じていて、まだ誰も気づいていないことーーをどうやって発見するのか。いくつかのケーススタディを通じて、実際に逆張りの賭けをして成功した企業から学べることを掘り下げていきましょう。
2. AI分野における競争の激化と「2年間の黄金窓」
2-1. 1年前との環境変化:グリーンフィールドから混戦へ
Harj: 約1年前、私たちはスタートアップのアイデアを探している創業者たちに、これまでになく投資しやすくなったと感じていました。その理由は明確で、AIという新技術が登場したことで、まだ誰も手をつけていない領域が広大に広がっていたからです。垂直領域はほとんど手つかずで、モデル自体も数ヶ月ごとにステップ関数的な改善が起きていました。その改善のたびにアイデア空間が広がり、新しいアイデアが次々と生まれる環境でした。グリーンフィールドがある上に、大きな変化がいつでもやってきて状況をかき混ぜてくれる、そういう時代でした。その恩恵は今もはっきりと見えていて、垂直特化型のAIエージェント企業の多くが非常に好調に成長しています。
ただ、最近オフィスアワーで創業者たちのアイデア探しを手伝っていると、雰囲気が明らかに変わってきていると感じます。「保険や銀行といった領域でワークフローを自動化するだけでいい」という単純な話ではもはやなくなっています。それぞれの垂直領域にすでに複数のスタートアップが参入していますし、しばらくの間、状況を大きく揺るがすようなモデルの進化も起きていません。だからこそ今は、自分だけの独自のインサイトとは何か、どんな逆張りの賭けをするのかを真剣に考えることが、これまで以上に重要になっています。
2-2. 過去の技術転換期との比較とそこから導かれる教訓
Jared: Harjが言う通り、新しいテクノロジープラットフォームが登場すると、約2年間の黄金窓が生まれます。これは過去の技術転換期を振り返れば明らかです。インターネットが登場したとき、スマートフォンが登場したとき、いずれも現代版のゴールドラッシュのようなものが起きました。まったく新しいクラスのスタートアップアイデアが一気に開花し、誰もが一斉に明らかなアイデアへと飛び込んでいきました。そして、その明らかなアイデアがおおよそ2年で出尽くされると、今度はより深く掘り下げなければ「秘密」を見つけられなくなっていきます。
Harj: iPhoneのローンチ前後を振り返ってみると、その構造がよくわかります。ローンチ直後の1〜2年間、写真共有など明らかなアイデアへの参入が相次ぎ、Instagramもそういった流れの中から生まれました。しかし実際に大きな勝者となったのは、UberやDoorDash、Instacartといった企業でした。
Jared: そうなんです。当時を知らない人には想像しにくいかもしれませんが、それらは当時まったく自明ではありませんでした。iPhoneが登場したとき、「iPhoneでどんな企業が作れるか」という記事やソーシャルメディアの投稿が無数にあふれましたが、その中にUberが生まれるという予測をした人は、おそらく一人もいなかったと思います。新技術が登場した直後の「明らかなアイデア」と「実際の大きな勝者」の間には、常に大きなギャップがあるのです。そしてAI分野は今まさに、その黄金窓の終わりに差し掛かっています。明らかなアイデアは出尽くされ、これからは本当の意味での逆張りと秘密を探す時代に入っていると言えるでしょう。
3. 非自明な成功のケーススタディ:DoorDash・Zimride・Lyft
3-1. DoorDashの逆張り:「フルスタック神話」を拒否した戦略
Jared: 競争が激化している今の文脈で、特に興味深いケーススタディの一つがDoorDashだと思います。DoorDashが参入したのは、すでに非常に混雑した市場でした。フードデリバリー自体はモバイル以前から存在していましたし、モバイルの登場がさらに多くのフードデリバリーアプリを生み出す触媒になっていました。DoorDashがローンチした時点では、すでにPostmatesやSeamlessといった大手が存在していました。YCの企業であるOrder Aheadも当時かなりうまくいっていて、デリバリーではなくレストランからの受け取りを可能にするサービスでしたが、ロケーション数ではDoorDashをはるかに上回っていました。
Harj: しかも当時、2014年頃のスタートアップ界隈では「フルスタックスタートアップこそが野心的だ」という考え方が支配的なプレイブックになっていました。「ソフトウェアだけを作るのでは不十分で、大きなチャンスはフルスタック化することにある」という空気です。SpoonRocketやSprigがその典型で、シティ全体に分散したゴーストキッチンで自社調理した料理をデリバリーするというモデルを展開していました。当時の感覚では、そちらの方がむしろ大きなビジョンに見えていたのです。
Jared: だからこそDoorDashの逆張りが際立っています。DoorDashが選んだのは、アプリとマーケットプレイスだけに集中するという、当時の「常識」とはまったく逆の戦略でした。フルスタック化しない、キッチンを持たない、ただデリバリーに徹する。今振り返れば明らかに正しい賭けですが、当時の文脈ではむしろ「小さくまとまっている」ように見えたはずです。確立しつつあったプレイブックへの逆張りが、結果的に正解だったわけです。
3-2. ZimrideとRidejoy:スマートフォンが「規模感の常識」を破った事例
Jared: 同じ時期に起きた面白い事例として、ZimrideとRidejoyの話があります。ZimrideはもともとYCのRidejoyと真っ向からぶつかるような競合関係にあり、当時は互角の戦いをしていました。両社はもともとCraigslistから利用者を引っ張ってくるようなモデルで、長距離のライドシェアを提供していました。「週末にLAまで車で行くので、同乗者を募る」といった使い方で、SFからタホへの乗り合いや、ガス代のシェアを手配するようなプラットフォームでした。
Harj: そこからZimrideが気づいたのが、スマートフォンの普及という変化でした。人口の70〜80%がスマートフォンを持つようになったことで、長い事前調整を必要とする長距離ライドシェアではなく、毎日使える短距離の移動に応用できるのではないかという発想に転換したのです。長々としたメールのやり取りで待ち合わせ場所を決めてガス代を払うのではなく、スマートフォン上で即座に完結する日常的な近距離移動サービスとして再設計することができる。これがLyftの原型となりました。スマートフォンの普及が「モバイルワークフォース」を完全に電話上で動かすことを可能にしたという、まさに技術転換点を掴んだ瞬間でした。
Jared: 私がRidejoyの創業者たちとミーティングをしたとき、Zimrideがうまくいっているように見えること、そしてInstacartのApoorvaが食料品デリバリーで同じような手応えを感じていることを話していました。市場がこれらのスタートアップからサービスを引っ張り出そうとしている、まさにそういうタイミングでした。
3-3. UberXとLyftが直面した「逮捕されるかもしれない」という恐怖
Jared: ところがその瞬間、Ridejoyの創業者たちが口にしたのは「法律が心配だ、違法になりそうで怖い、違法なことはしたくない」という言葉でした。そして彼らは間違っていなかった。私はLyftの創業者たちとローンチの1週間前に話しましたが、彼らは本気で逮捕されることを恐れていました。それでも彼らはサービスをローンチするという賭けに出たのです。
Harj: UberXやLyftが登場する前に誰も同じことをやらなかった大きな理由の一つは、まさにそこにあったと思います。違法になりうるということへの恐怖が、多くの人を踏み出せなくさせていました。しかし逆に言えば、その「法的グレーゾーン」への恐怖こそが、競合の少ない領域を示すシグナルでもあったわけです。非自明であるということは、単に知的に「うまくいくかどうかわからない」というだけでなく、「危険かもしれない」「居心地が悪い」という感覚として現れることが多い。そしてまさにそういう感覚を持ちながらも踏み出した創業者たちが、大きな勝者になっていったのです。
4. エンドユーザーは規制変更を促せる
4-1. 「違法かもしれない」という感覚が逆張りシグナルになる理由
Harj: 非自明であるということの本質は、単に知的な不確実性ではないと思っています。「これは知的にはっきりしない」というよりも、「これは少し危険かもしれない」「なんとなく居心地が悪い」という感覚として現れることの方が多い。そしてまさにそういう感覚こそが、実は逆張りのシグナルになっているのではないでしょうか。OpenAIはWeb全体を許可なくクロールしましたが、それはフェアユースとも言えるし、大規模な著作権侵害とも言える。CoinbaseもUberXも、いずれも法的にグレーな領域に踏み込んでいます。こういったケースに共通しているのは、「危険かもしれない」という感覚が競合の少なさを示すシグナルになっていたという点です。優れた創業者はその居心地の悪さを、むしろ前向きなシグナルとして読み取ることができる。
Jared: ただ、誤解しないでほしいのですが、これは「デフォルトで違法なことをやれ」という話ではありません。大事なのは第一原理から考えることです。市場とユーザーが本当に必要としているものは何かを考え、そこから出発する。UberXの場合、サンフランシスコのタクシーインフラは本当にひどいものでした。タクシーを呼んでも半分は来ない。そういう状況の中で、自由に簡単に移動できるようになった瞬間、サンフランシスコの暮らしやすさは劇的に向上しました。ユーザーが得る便益があまりにも大きかったからこそ、最終的に法律の方が変わっていったのです。
4-2. Coinbaseのケーススタディ:サイファーパンク文化への逆張り
Harj: Coinbaseはまた別の意味で興味深い逆張りの事例です。2010年から2012年頃のビットコインコミュニティに関わっていた人の大多数は、いわゆるサイファーパンクでした。「国家などくそくらえ、法律などくそくらえ、Bitcoinによって中央集権的な銀行から自由になろう」という過激な思想を持つ人たちで、完全な匿名性を求めていました。当時のビットコインはSilk Roadとの結びつきが強く、今日のものとはまったく異なるものでした。
Jared: そんな文脈の中でBrian Armstrongが選んだのは、コミュニティの主流とはまったく逆の方向性でした。KYCやAMLといった規制に従い、銀行とパートナーシップを組み、規制当局と協力するという道です。当時のビットコインコミュニティからは激しく批判されました。しかしBrianの逆張りはそれだけではありませんでした。そもそも銀行と交渉してパートナーシップを結ぶという作業は、当時の市場がそれを求めていなかったため、価値があるとは到底思えないものでした。サイファーパンクたちやSilk Roadの利用者はクリプトと匿名決済を求めていましたが、一般の人々が暗号資産を取引したいと思う時代が来るかどうかはまったく不明だったのです。
Harj: つまりBrianの賭けは、「いつか一般の人々がクリプトを使いたがる時代が来る」という信念だけを根拠に、当時の市場が最も嫌っていたアプローチを選ぶというものでした。KYCを義務付けることはユーザー体験の摩擦を大きく増やしますし、コミュニティの怒りを買うことも明らかでした。それでも彼はその道を選んだ。そして新興市場において「明らか」とされていることは、実は間違っていることが多いという教訓がここにあります。当時Coinbaseが見ていたビットコイン市場のTAMは、数兆ドル規模などではなく、せいぜい数千万から数億ドル程度のものでした。にもかかわらず、第一原理から考え、一般ユーザーが必要とするものを見据えていたからこそ、今日の姿があるわけです。
4-3. 旧技術時代に書かれた法律のひずみと民主主義が規制を変える力
Jared: これらの事例を通じて見えてくるのは、「法律が技術転換に追いついていない」という構造的な現実です。タクシーのメダリオン規制はスマートフォン以前の時代に書かれたものでした。当時は身元不明の人間が「タクシーです」と言って人を乗せることが社会的な脅威でしたから、規制には合理的な理由がありました。しかしスマートフォン時代においては、追跡と説明責任がシステムとして担保されています。つまり旧来の規制は、むしろ社会の進歩を妨げるだけのものになってしまっていた。同じことが暗号資産にも言えます。証券法は消費者をスキャムや理解できないものへの投資から守るために設計されたものですが、クリプトの世界ではその多くが現実に合わなくなっており、今まさに書き直されようとしています。
Harj: 大事なのは、そういう「ひずみ」を見つける視点を持つことだと思います。明示的に違法とされていることをやれという話ではありません。ある大きな技術転換が起きた後、それ以前に書かれた法律がもはや現実を反映していない領域を見つけること。そしてその領域に勇気を持って踏み込んでみること。それが非常に価値のある逆張りになりうるということです。
Jared: そしてもう一つ重要なのが、民主主義のメカニズムです。政府というのは本来そういうものを調整するために存在しています。エンドユーザーが十分な便益を受けていることが明らかになれば、民主主義社会では時間をかけて法律が変わっていきます。今まさにその例として、オープンバンキングをめぐる議論があります。Plaidのようなサービスはユーザーにとってあきらかに便利なものですが、大手銀行は自分たちのモートを守るために規制当局を動かそうとしています。Trump政権下でのオープンコメント期間が今まさに進行中で、YCのスタートアップのような小さな企業が大手銀行のAPIにアクセスできるかどうかが問われています。しかし長期的に見れば、ユーザーが得る便益があまりにも大きければ、民主主義は正しい方向に動く。第一原理と民主主義の組み合わせが、最終的にはオープンな市場と自由をもたらすと信じています。
5. 逆張りのアイデアを見つける:確立しつつあるプレイブックを疑う
5-1. フレームワーク:「スタンダード化しつつある手法の裏返し」
Harj: では今まさに、創業者たちが注目すべき逆張りのアイデアとはどんなものでしょうか。1年前と比べて競争が激化している今、どこに目を向ければいいのか。一つの有効なフレームワークとして私が考えているのは、「今まさにスタンダードになりつつあるプレイブックを探し、それを裏返す」というアプローチです。具体的な処方箋を示すというよりも、確立されつつある手法の中に逆張りの余地を見つけるという考え方です。DoorDashがフルスタックスタートアップという当時の支配的なプレイブックに逆張りしたように、今のAI企業が当たり前のように採用している手法の中にも、裏返すべきものがあるはずです。
Jared: 今のAI企業のコンテキストで言えば、ここ1年で急速に定番化した手法がいくつかあります。その中でも特に「これは裏返せるかもしれない」と感じているものとして、コンパウンドスタートアップのアプローチ、そしてフォワードデプロイドエンジニアのモデルがあります。
5-2. コンパウンドスタートアップという賭けとCampfireの事例
Diana: コンパウンドスタートアップという概念は、RipplingのParker Conradが広めたもので、複数のプロダクトを最初から組み合わせて構築するという戦略です。ただ、実際のところこれはまだあまり広く採用されていないと思っています。多くの人が試みてはいますが、実践するのが非常に難しい。Ripplingの場合、最初のバージョンを出すまでに約2年かかりました。しかし特定のAIスタートアップにとっては、それが実は実行可能な選択肢になりつつあります。AIの力を使えば、従来ならば膨大な時間がかかっていた複数プロダクトの構築を、大幅に短縮できるからです。
Harj: その具体例として非常に興味深いのがCampfireというYC企業です。CampfireはCFO向けのAIネイティブなプロダクトとして、NetSuiteに真正面から競合しようとしています。NetSuiteは非常に大きなソフトウェアで、ポイントソリューションでは到底太刀打ちできない。採用してもらうためには、フル機能を揃えなければならない。これは通常、初期段階のスタートアップに対して私たちが勧めるアドバイスとは真逆です。「最初は小さく始めて、早くプロダクトを出して、顧客フィードバックをもらえ」というのが定石ですが、Campfireはあえて全部を最初から作るという逆張りをしました。
Jared: そしてその賭けは機能しています。Campfireは今、大型アカウントを次々とクローズしています。時間はかかりましたが、NetSuiteを実際に置き換えているというのは、正直信じ難い話です。10数人のチームがNetSuiteに勝てるのかと思いますが、しかしこれがまさに今私たちがいるタイムラインなのです。
5-3. コードgenによるスイッチングコストのほぼゼロ化という構造変化
Jared: Campfireの事例でもう一つ注目すべきなのが、コードgenがエンタープライズのスイッチングコストをほぼゼロに近づけつつあるという構造変化です。「どうやってCampfireはNetSuiteのユーザーを切り替えることができるのか」という疑問への答えがここにあります。従来、データスキーマの変換には6週間から場合によっては6ヶ月もの手作業が必要でした。スキーマが動的な場合はさらに複雑で、一つでも間違えれば顧客はチャーンしてしまう。そういう作業だったのです。
Harj: しかしコードgenの進化によって、その時間が劇的に短縮されました。デモの精度が高ければ、従来6ヶ月かかっていた意思決定プロセスが2週間に縮まります。さらにデータ変換やスキーマ統合のツール群をコードgenで高度化すれば、価値実現までの期間が1年から1ヶ月以内になる。これはエンタープライズ営業において、以前は成立しなかった商談が今は成立するということを意味しています。以前なら「YesからValue実現まで1年かかる」という案件は、リスクが高すぎて誰も踏み込めませんでした。それが今は現実的な時間軸になっているのです。これは特に複雑なエンタープライズプロジェクトに取り組んでいる創業者にとって、非常に大きなニュースだと思っています。
5-4. フォワードデプロイドエンジニアモデルへの逆張りとGigaML
Jared: もう一つ「裏返せるかもしれない」と感じているプレイブックが、フォワードデプロイドエンジニア(FDE)モデルです。これはPalantirが生み出し、今やほぼすべてのエンタープライズAIスタートアップが採用している定番戦略になっています。数エピソード前にBob McGrueとも話しましたが、彼は自分がその手法を生み出した一人でありながら、今は過剰に使われていると感じているとかなり懐疑的でした。非常に限られた特殊な状況でのみ使うべきものであって、デフォルトのプレイブックになるべきではないと言っていました。
Harj: FDEモデルは確かに今も非常にうまく機能していて、それを採用している企業は積極的な成長率を見せています。ただ、もし純粋に「最も定着したプレイブックへの逆張り」を一つ選ぶとしたら、FDEモデルがその候補になると思っています。そしてまさにそれを実践しようとしているのがGigaMLというYC企業です。
Diana: GigaMLのアプローチは非常に面白いです。FDEモデルの本質は、顧客のデータスキーマやビジネスロジックを自社のスキーマとロジックに変換するコンサルティング的な作業にあります。GigaMLはその作業を、人間のFDEではなくAIとコードgenで実行します。人間のFDEが初期統合を完了するのに数週間かかるところを、AIのFDEは数分でこなせる。これはもはやコンサルティングではなく、顧客がスペックを入力すれば即座にプロダクトが届くという体験です。本質的には「FDEなし」のプロダクトであり、顧客がすぐに価値を得られる即時納品モデルです。競合他社よりもはるかに速く商談をクローズできるのも、そこに理由があります。こうした逆張りが大きく報われる可能性があると感じています。
6. 群れの安全と地方自治体への売り込み:Flock Safetyのケーススタディ
6-1. 発端:投資家の個人体験と三重の忌避要因
Diana: Flock Safetyは私が特に語りたいケーススタディの一つです。私がまだInitializedにいた頃の話で、ちょうどDemo Dayで各社を見ていた朝のことでした。その日の朝、Noe Valleyにある私の家の通り沿いの車が全部破られたのです。プロの窃盗団で、通りのすべての車に対して機械的と言っていいほど軍事的な精度で侵入し、バッグをすべて引っ張り出して、私の家のアルコーブに持ち込んで中身を物色していました。私はその朝の打ち合わせをすべてキャンセルして警察と話しましたが、私が持っていたNestカメラがすべてを録画していたにもかかわらず、警察の返答はシンプルでした。「ナンバープレートがなければ何もできない」というものでした。
だからこそ、その日のDemo DayにGarrett Langleyが持ち込んだプロダクトを見たとき、第一原理からの投資判断は非常に簡単でした。Garrettはアトランタ出身の創業者で、以前に成功したイグジットの経験もありました。彼が持ち込んだのはハードウェアのプロダクトで、Raspberry PiにカメラとソーラーアレイをつけたLPR(ナンバープレート認識)カメラです。ImageNetの登場以降、Computer Visionは十分に成熟していて、デバイスのエッジで推論を走らせることができるようになっていました。ソーラー技術もちょうど実用レベルに達していて、こうしたデバイスをほぼ永続的に稼働させるのに十分な電力を供給できるようになっていました。ピッチの内容は、近隣住民グループや町内会に販売するというもので、アトランタ近郊のPiedmontエリアではすでに展開を始めていました。
Jared: しかしVCの観点から見ると、このプロダクトには「三重の忌避要因」がありました。まず一つ目がハードウェアであること。VCはハードウェアを嫌います。二つ目が、売り先が近隣住民グループという小さな市場であること。私が作った投資メモの中でも、近隣住民グループの数とそのACVを掛け合わせると、最大でも年間5,000万ドルから6,000万ドル程度にしかならないと率直に書きました。つまりこのプロダクトの実際のTAMは年間わずか5,000万ドル規模だったのです。そして三つ目が、拠点がアトランタであること。シリコンバレーではないということです。この三つが重なることで、VCにとってはほぼ投資対象外に見える案件でした。
Diana: ただ、Brian SingermanとFounders Fundで一緒に仕事をしていた頃から、私がずっと意識してきたことがあります。「投資のルールが多ければ多いほど、大きなリターンを生む機会を自分で排除してしまうことになる」という考え方です。前のエピソードでセブンパワーやモートについて話しましたが、それを唯一の投資判断基準にするのは愚の骨頂だと思っています。Coinbaseでも同じことが言えました。当時のビットコイン市場のTAMは数兆ドルではなく、せいぜい数千万から数億ドル規模でしかありませんでした。ルールベースの判断で弾いてしまえば、そういった機会はすべて失われます。第一原理から「社会が何を必要としているか」「ユーザーが何を必要としているか」「今だからこそ成立するアイデアは何か」を考えることの方が、はるかに重要だと思っています。
6-2. GTMの転換:近隣グループから警察署・行政へ
Diana: Flock Safetyが最初に採用したGTMは、近隣住民グループへの直接販売でした。しかしYCのゴール設定のプロセスの中で、Garrettは成長目標から逆算して考え始めました。その結果、近隣住民グループへの販売だけでは到底目標を達成できないということが明らかになったのです。次の一手として浮かび上がってきたのが、警察署や市当局への販売でした。一見すると「不可能に近い」と思えるチャネルでしたが、実際にやってみると、それが彼らの成長の大きなエンジンになっていきました。
Jared: そしてFlock Safetyが解いている犯罪はニュースになり始めます。彼らが取り組んだのは、地元ニュースのアンカーに連絡を取るメディアチームを組成することでした。「この犯罪はFlock Safetyによって解決されました。Bロールとして使える映像があります」という形で売り込んでいったのです。すると、あるまちで強力な犯罪が解決されたというニュースが流れると、隣の市の警察署長が「これは何だ、今すぐ欲しい」と連絡してくるようになりました。ウイルス的な伝播が始まったのです。
Diana: 実際にGarrettとオフィスアワーをやっていた頃の話ですが、「誘拐された子どもを見つけることができた」というケースが出てきたときは本当に衝撃でした。実際の人間へのインパクトを目の当たりにすると、なぜこのプロダクトが広がっていくのかが自然と理解できます。私自身も自宅の前にFlock Safetyを設置しましたが、あの窃盗団を捕まえることはできなかったものの、設置した瞬間から安心感が全然違いました。コミュニティでも同じことが起きていたのです。
6-3. 一般化できる教訓:顧客の問題の深刻さに集中すれば残りは見えてくる
Jared: Flock Safetyの現在の評価額は75億ドルです。年間売上も6,000万ドルをはるかに超えています。Demo Dayで見せてくれたプロダクトの技術的なコアは今も基本的に同じで、やったことはビジネスモデルとGTMのピボットです。近隣住民グループへの販売は今も続けていますが、警察署や市当局への公式採用が成長の本当のエンジンになりました。
Diana: ここから一般化できる教訓は非常に重要だと思います。もしGarrettが投資家たちの意見をそのまま受け入れていたら、「ハードウェアはだめ、地方自治体への販売はだめ、B2B SaaSをやれ」というアドバイスに従って別の方向に進んでいたかもしれません。しかし彼はそうしなかった。ビジネスモデルも、GTMも、配信チャネルも、すべてブログを読んだりChatGPTに聞いたりして学んだことではなく、実際に動いてみて初めてわかったことです。全員の話がまったく異なるのもそのためです。
Jared: 結局のところ、核心にあるのは一つのことだと思っています。違法なことをしに走るのではなく、人間が本当に切実に必要としているものを探しに走ること。顧客の問題がどれだけ深刻かに徹底的に集中すれば、ビジネスモデルも配信方法もあとから見えてきます。Flock Safetyはまさにその原則を体現した企業です。米国で報告される全犯罪の10%を解決しているという事実が、それを何より雄弁に物語っています。
7. SF的な創業者と「不可能」なビッグアイデア:OpenAIとSpaceX
7-1. OpenAIのケーススタディ:専門家コミュニティからの全面否定
Diana: もう一つの逆張りのカテゴリーとして、私が「SF的な創業者」と呼んでいるタイプの人たちがいます。ほとんどの人が怖くて手をつけられないほど途方もなく難しいアイデアに、真正面から挑んでいく創業者たちです。場合によっては、科学や物理の法則そのものを再発見しなければ実現できないようなアイデアです。その最もわかりやすい例がOpenAIです。SamがYCからスタートしたとき、AIが本当に実用的なものになるのかどうかさえ不明でした。その後も長い年月をかけて、研究者たちが論文を書き、Rubikのキューブを解くプロジェクトをやり、Dotaを攻略するプロジェクトをやり、それらが最終的にどう繋がって今日のOpenAIになるのかは、当時は誰にも見えていませんでした。
Jared: しかしそれ以上に人々が忘れがちなのが、OpenAIがローンチしたとき、世間の反応がほとんど否定的だったという事実です。テクノオプティミストと呼ばれるごく一部の人たちは面白いと思いましたが、大多数の人、特にアカデミアや他の企業のAI研究者たちは、極めて否定的でした。
Diana: その批判の内容は具体的でした。「私たちは50年間この分野を研究してきた。もしAGIを作る方法があったなら、とっくにやっている。20代や30代の若者たちに何がわかるというのか。まだ論文も一本も出していないではないか」というものでした。論文を出さないことへの批判は非常に強烈でした。アカデミアの世界では、論文こそがあらゆる評価基準だったからです。
Harj: さらにスケーリング則に対する投資についても、アカデミアからは「論外」と見られていました。「何百万ドルもGPUに費やして、それで論文が何本増えるというのか」という批判です。しかし本当に優れた作り手が最適化すべきは、論文の本数ではなく、顧客やユーザーへのアウトカムです。アカデミアが論文という指標をペーパークリップ的に最適化していた一方で、OpenAIはまったく別の指標を見ていたわけです。
7-2. SpaceXのケーススタディ:再利用ロケットという「物理的に不可能」な賭け
Diana: SpaceXも同じ構造を持つ事例です。Elonは宇宙飛行会社を始めた最初の億万長者ではありませんでした。5番目の億万長者です。だから当初のプレスの扱いは「また別の億万長者が道楽で宇宙に金を溶かしに来た」というものでした。
Harj: さらに再利用ロケットというコンセプトそのものが、ロケット科学者たちから「物理的に不可能だ」と言われていました。Elonが専門家たちに話を聞きに行っても、彼らの答えはNoだったのです。そしてロケットが爆発するたびに、また大きな否定的報道の波が来る。その繰り返しでした。
Jared: OpenAIとSpaceX、両社に共通しているのは、創業者たちが長期間にわたって周囲のほとんどの人から「愚かだ」「狂っている」と言われ続けながらも、自分たちの信念を貫き続けたということです。一時的な失敗や批判があるたびに、また新たな否定の波が来る。それでも揺るがなかった。
7-3. 逆張りが正しくなるメカニズム
Harj: ここで重要なのは、逆張りが「正しくなる」ためのメカニズムです。10人のうち9人があなたのことを愚かだとか狂っているとか言うかもしれない。しかし10人に1人は、あなたと同じことを信じている人かもしれません。そしてその逆張りの立場を明確にすることで、世界中に散らばっている同じ信念を持つ人たちを引き寄せる磁石になることができます。逆張りで正しくあるためには、単に信念を持つだけでは足りません。その信念を持つ人々を積極的に引き寄せ、集めることが不可欠です。
Diana: オフィスアワーで最近話したマーケティング分野の創業者がいました。「AIが登場する以前にこの領域でやろうとした人たちは全員失敗した。だから誰もやっていない」と言っていたのですが、私が伝えたのはまさにその逆の見方でした。AIという巨大な新しい能力がある今だからこそ、誰もやっていないということは競合がいないということです。過去に失敗した人たちはAIなしでやろうとしていた。今のあなたはまったく異なる条件の上に立っている。そして実際に彼の数字は上がり始めていて、顧客が自然とサービスを引き出してくるような状況が生まれています。周囲の人がXで何と言っているか、TechCrunchが取り上げているかどうか、友人がパーティーで「それはtarpit ideaだ」と言うかどうか、そういった外部の声ではなく、ユーザーが実際に示しているプロダクトマーケットフィットのシグナルこそが本物の情報源です。SF的な創業者とは、その本物のシグナルを外部のノイズよりも信じ続けられる人のことだと思っています。
8. アウトロ:情報源を根本から問い直すことと起業の本質
Jared: 最後に、今日の議論全体を通じて伝えたいことを一言でまとめるとすれば、「何が本当で正しいのかを、自分がどこから知っているのかを根本から問い直してほしい」ということです。自分の現実認識の基盤がどこから来ているのかを、一度徹底的に洗い直してみてください。その情報源がユーザーとの直接対話から来ているなら、あるいは自分自身の実体験や、直接話した人たちの経験から来ているなら、それはおそらく信頼できる基盤です。検証可能で、現実に根ざしたものとして使っていい素材です。
Harj: 一方で、Xをドゥームスクロールして得た情報や、有名人の発言、あるいは正直に言えば私たち自身の発言も含めて、そういったものはすべてN=1に過ぎません。私たちがここで話していることも、あくまで一つの視点でしかない。重要なのは、あなたが解決したいと思っている問題を抱えている人たちであり、その問題を解決するあなた自身の能力であり、そして同じ問題を解決したいと思っている他の人たちを引き寄せる力です。その三つ以外のものは、本質的には雑音です。
Jared: 今日話してきたことを振り返ると、逆張りであることの意味がより明確になってきたと思います。ホットな領域だけを追いかけていれば、必然的に派生的なアイデアにたどり着きます。そのアイデアは自明なものになり、5社、10社、100社の競合が生まれます。1位や2位であればまだいい。しかし3位から98位のスタートアップはすべて死ぬことになります。それが現実です。本当に世界を変えるのは、創業者自身です。変化を起こすのはVCでもメディアでもなく、創業者たちが第一原理から考え、ユーザーが本当に切実に必要としているものを見つけ出し、そこに踏み込んでいくことによってのみ実現します。
Diana: 今日紹介してきたFlock SafetyもOpenAIもSpaceXも、いずれも当時の「常識」からすれば愚かに見えるか、危険に見えるか、不可能に見えるかのどれかでした。しかし創業者たちは外部の声ではなく、ユーザーの実際のニーズと自分たちの信念を基盤にして動き続けました。それがすべての出発点だったのです。ぜひ一度立ち止まって、自分の現実認識の基盤を問い直してみてください。そしてあなたが解決すべき問題を抱えている人たちを探しに行ってください。次回またお会いしましょう。
