※本記事は、国際電気通信連合(International Telecommunication Union: ITU)が運営するAI for Goodプラットフォームによる動画「AI for Good: Solutions and Knowledge – Skills and Capacity – Standards and Policy」(https://www.youtube.com/watch?v=J4BwjdllGEE) の内容を基に作成されています。本動画では、ITU主導のAI for Goodがイノベーションを現実世界のソリューションへと転換していく取り組み、世界各地での知識・スキル・キャパシティの構築、国際標準の推進とAI政策の形成、そしてAIが人類に資し持続可能な開発を支え、責任ある包摂的でインパクトのあるテクノロジーを通じてコミュニティをエンパワーするための協働の姿が紹介されています。本記事では、動画の内容を要約しております。なお、本記事の内容は原著作者の見解を正確に反映するよう努めていますが、要約や解釈による誤りがある可能性もありますので、正確な情報や文脈については、オリジナルの動画をご視聴いただくことをお勧めいたします。また、AI for Goodが運営するAI駆動のネットワーキング・コミュニティ・プラットフォーム「Neural Network」(https://aiforgood.itu.int/neural-network/) では、イノベーターや専門家とのつながりの構築、革新的なアイデアと社会的インパクト機会との接続、AIを用いてグローバル課題を解決するためのコミュニティ形成が促進されていますので、あわせてご参照ください。
第1章 AI for Goodの理念と三本柱の全体像
1-1 「分断ではなく結束をもたらすAI」という基本理念と本動画の構成
Narrator: AIは私たちを分断するのではなく、より近づけるために役立たなければなりません。これこそがAI for Goodの根幹をなす約束のひとつであるとお伝えしたいと思います。私たちがこの取り組みを語るとき、技術そのものの華々しさを誇示するのではなく、まず「何のためにAIを使うのか」という目的の側から出発する姿勢を一貫して大切にしています。AIが人々の間に壁をつくり、情報格差や能力格差を広げ、結果として社会を断片化させてしまうのであれば、それは私たちの目指す方向とは正反対のものになってしまいます。だからこそ、AI for Goodという旗印のもとに集まる関係者は、技術の進展そのものを称賛する以上に、その技術が人と人、国と国、世代と世代をどのようにつなぎ直すことができるのかという問いを共有しているのです。
Narrator: 本動画でこれからご紹介していくのは、この基本理念がどのような形で具体的な活動に翻訳されているのかという点です。インドのIIT Delhiで開催した機械学習チャレンジやスタートアップ向けのInnovation Factory、そこから選ばれた勝者がジュネーブのグランドフィナーレへと進む流れ、さらにロボティクス for Good ユースチャレンジに集った7,500人規模の子どもたち・教員・メンターの姿を順にお見せします。また、私自身がニューヨークでITU代表団とともに取り組んでいる、誤情報やディープフェイク、自動運転、エンボディドAI、ブレイン・コンピュータ・インターフェース、量子技術といった先端領域の標準化要件の検討についてもお話しします。そして最後に、AI Skills Coalitionの立ち上げや、開発途上国が標準化のプロセスから取り残されないようにするためのキャパシティビルディングの取り組みへと話題をつなげていきます。これらは一見すると別々のイベントや活動のように見えますが、すべて「AIが人々を結びつけるための道具となる」という同じ理念から派生しているものです。
1-2 ソリューションと知識・スキルと能力・標準と政策という三本柱の位置づけ
Narrator: AI for Goodの活動は、ソリューションと知識(Solutions and Knowledge)、スキルと能力(Skills and Capacity)、そして標準と政策(Standards and Policy)という三つの柱によって支えられています。これは単なる分類のための枠組みではなく、AIを社会善のために機能させるためには、この三つの側面が同時に揃っていなければならないという実践的な認識から導き出されたものです。優れたソリューションや知識があっても、それを扱える人材が育っていなければ社会には根づきません。逆に、人材が豊富であっても、共通の標準や政策が欠けていれば、せっかくの技術が地域ごとにバラバラに展開され、相互運用性を失い、結果として再び分断を生んでしまうことになります。三本柱は、互いを補完し合うことで初めて意味を持つ構造になっているのです。
Narrator: 一つ目のソリューションと知識という柱は、現実の課題に対してAIがどのような答えを差し出せるのかを探究する領域です。本動画でも、機械学習チャレンジやロボティクスのユースチャレンジといった具体的な事例を通じて、この柱がどのように動いているのかをご覧いただきます。二つ目のスキルと能力という柱は、技術を使いこなし、自国の課題に応用していける人材を世界中に増やしていく取り組みであり、AI Skills Coalitionや13言語にわたるオンラインコースといった形で姿を現します。そして三つ目の標準と政策という柱は、ディープフェイクや自動運転をはじめとする先端領域において、各国がバラバラの方向に進んでしまわないよう、ITUを中心とした国際的な合意形成の場を提供するものです。私たちはこの三本柱を並列に走らせるのではなく、互いに行き来させながら一体として推進しています。
Narrator: ここで強調しておきたいのは、これら三本柱のいずれもが、政府・産業界・学術界・市民社会という幅広いステークホルダーの参画によって初めて機能するという点です。ITUは政府間機関としての役割を担っていますが、そこに産業界の実装力、学術界の知見、そして市民社会の現場感覚が加わらなければ、本当に人々の役に立つAIの姿は描けません。本動画でこれからご紹介する個々のエピソードは、いずれもこの三本柱と多様な関係者の協働がどのように具体的なかたちをとっているのかを示す事例でもあります。理念としての「AIで人々を近づける」という言葉が、現場でどのように呼吸し、子どもたちの学びや起業家の挑戦、そして国際標準の議論へと展開していくのか、その流れをぜひ追っていただければと思います。
第2章 ソリューションと知識:機械学習チャレンジとロボティクス・ユースチャレンジ
2-1 IIT Delhiでの機械学習チャレンジとInnovation Factoryスタートアップ競技
Narrator: 今週、私たちはインドのIIT Delhi(インド工科大学デリー校)を会場として、機械学習チャレンジを開催いたしました。AI for Goodの三本柱のうち「ソリューションと知識」の側面を、世界有数の工学系教育機関の現場で実際に動かしてみせる取り組みです。なぜインドのIIT Delhiという場所を選んだのかという問いに対しては、AIの社会実装を本気で進めるためには、世界の人口動態や若年層の厚みを踏まえた拠点で挑戦と人材発掘を行う必要があるという考え方が背景にあります。研究室の中だけで完結するコンテストではなく、参加者が自らのアイデアと実装力を実社会の課題に対して投げ込んでいけるよう、機械学習という分野そのものをチャレンジの中核に据えました。
Narrator: この機械学習チャレンジと並行するかたちで、私たちはスタートアップを対象としたInnovation Factoryというコンペティションも実施しました。Innovation Factoryは、すでにアイデアの段階を超えて事業化の入り口に立っているスタートアップに焦点を当て、彼らが抱える技術的・事業的な挑戦を競技形式で評価していく仕組みです。研究者・学生によるアルゴリズムレベルの競争と、スタートアップによる事業レベルの競争が同じ週に並走することで、ソリューションの種が芽吹く瞬間から、それが市場に出ていく直前の段階までを連続的に観察できるようになっています。これは「ソリューションと知識」という柱を、点ではなく線として捉えるための意図的な設計でもあります。
Narrator: この一連の競技から私たちは勝者を選出しました。選ばれた勝者は、スイス・ジュネーブで開催されるスタートアップコンペティションのグランドフィナーレへと進出する権利を獲得することになります。地域の競技で頭角を現したチームが、最終的にジュネーブという国際的な舞台に集まり、そこで互いの解決策をぶつけ合うという構造をとることで、各地で生まれたアイデアが世界規模で比較され、最も有望なものが可視化されていく仕掛けになっています。グランドフィナーレに進むということは、単に賞を競うということ以上に、自分たちのソリューションがグローバルな課題群の中でどのような位置を占めるのかを問い直す機会を得るということでもあります。インドの大学キャンパスで始まった挑戦が、ジュネーブの国際舞台へと接続されていく流れは、ソリューションと知識を地域から世界へとスケールさせていくAI for Goodの動線そのものを表しています。
2-2 ロボティクス for Good ユースチャレンジにおける7,500人規模の参加とマイクロコントローラ等の学び
Narrator: 同じく今日、私たちはロボティクス for Good ユースチャレンジを終えたところです。機械学習チャレンジやInnovation Factoryが大学生やスタートアップを主たる対象としていたのに対して、こちらは「ユース」と名のつくとおり、もっと若い世代を中心に据えたチャレンジになっています。AIやロボティクスを将来の専門家だけのものにしてしまうのではなく、もっと早い段階から子どもたちが手を動かし、仲間とともに課題に挑む経験を積めるようにすることが、ソリューションと知識という柱を長期的に支える土台になると考えているからです。
Youth Participant: 私たちはこの場でスキルをアップグレードしました。AIについてより深く学び、このプロジェクトでどのようなマイクロコントローラが使えるのかについても理解を広げることができました。チャレンジに参加するまでは、ロボットを動かすという行為が抽象的なものに感じられていましたが、実際にハードウェアの選定からプログラムの実装までを自分たちで担うことで、AIが単なる概念ではなく、具体的な部品と回路と制御の積み重ねの上に成り立っているのだと実感できたのが大きな収穫でした。
Narrator: このユースチャレンジには、7,500人の子どもたち、そして彼らの教員やメンターが参加し、ロボティクス for Good の競技に挑みました。7,500人という数字は、単なる動員規模を示しているだけではありません。それは、ひとりの子どもの背後に必ず教える側の大人がいて、さらにその大人を支える教育機関やコミュニティが存在しているという、重層的な関係性が同時に立ち上がっていることを意味します。AI for Goodが「ソリューションと知識」を語るときに学校や教員、メンターを必ず巻き込もうとするのは、知識が個人の頭の中だけにとどまるものではなく、教える側と学ぶ側の往復運動の中で初めて社会の財産となっていくと考えているためです。
Narrator: さらに、機械学習チャレンジ、Innovation Factoryのスタートアップ競技、ロボティクス for Good ユースチャレンジという三つの取り組みを並べてみると、対象となる年齢層やフェーズは異なるものの、いずれも「自分たちの手でソリューションを形にする」という共通の姿勢で貫かれていることが見えてきます。子どもたちはマイクロコントローラを選び、学生は機械学習モデルを組み上げ、スタートアップは事業としての持続可能性を設計する。それぞれの階層で求められる技術的な深さは違いますが、いずれも実装に至るまで自分たちで責任を持つという点では一致しています。こうした連続的なパイプラインが整っているからこそ、ジュネーブのグランドフィナーレに集まるソリューションは、思いつきのレベルではなく、現場での試行錯誤を経た厚みを備えたものになっていくのです。これがAI for Goodにおけるソリューションと知識という柱の、具体的な姿のひとつだとご理解いただければと思います。
第3章 標準と政策:ニューヨークITU代表団による標準化要件の検討
3-1 誤情報・ディープフェイク・自動運転・エンボディドAI・BCI・量子技術といった標準化対象領域
Narrator: 私は今、晴天のニューヨークから皆さんにお話ししています。ここにはITUの代表団とともに足を運んでおり、今まさに国際的な標準化の議論が必要とされている領域について、どのような要件を整理していくべきかを検討しているところです。第2章でご紹介したIIT Delhiでの機械学習チャレンジやロボティクス for Good ユースチャレンジが、AI for Goodの「ソリューションと知識」という柱を体現する現場だったとすれば、ここニューヨークで進めている作業は、もうひとつの柱である「標準と政策」を支える国際的な合意形成の現場ということになります。同じAI for Goodという旗印の下で、私たちはアジアの大学キャンパスから国連都市のひとつであるニューヨークまで、地理的にも階層的にも幅広い射程で活動を展開しているのです。
Narrator: このニューヨークでの議論において、私たちが標準化の検討対象として具体的に取り上げているテーマは、いずれも今まさに技術と社会の接点で論争を呼んでいる領域ばかりです。まず一つ目が、誤情報(misinformation)です。AIによってテキストや画像、音声を大量かつ高品質に生成できるようになったことで、何が真実で何が捏造であるかを見分けることが急速に難しくなりつつあります。二つ目は、それと密接に関連するディープフェイク(deepfakes)です。映像や音声の偽造が、もはや専門家でなければ判別できない水準にまで到達しつつある現状をどう扱うかが問われています。
Narrator: さらに三つ目として、自動運転(autonomous driving)を取り上げています。これは公道という公共空間で人命を左右する判断をAIに委ねる以上、国境を越えた標準化の議論が避けて通れない領域です。四つ目はエンボディドAI(embodied AI)であり、これはAIが身体性を獲得し、物理世界の中で行動するロボットのようなかたちで存在する場合に、どのような要件を満たすべきかが論点となります。五つ目はブレイン・コンピュータ・インターフェース(brain-computer interfaces)で、人間の神経活動と機械が直接やり取りする領域にまで議論が及んでいます。そして六つ目として、量子技術(quantum technologies)までもが視野に入っています。これは単一の応用分野というよりも、計算能力や暗号といったAI全体の前提を揺るがしうる基盤技術であり、標準化の地平に量子をどう組み込んでいくかが問われ始めているのです。
Narrator: これら六つの領域を一覧してまず気づくのは、いずれも従来の通信標準のような「技術仕様の整合」という枠だけでは捉えきれない、社会的・倫理的な含意を強く帯びたテーマだということです。だからこそITUは、純粋な技術仕様の議論にとどまらず、技術が社会に実装されるときの作法そのものを取り扱う場として、これらのテーマを正面から扱う必要があると判断しています。
3-2 検出不可能なディープフェイク回避に向けた検出技術と国際標準の必要性、マルチステークホルダーによる協力と合意形成
Narrator: こうした標準化対象領域の中でも、現時点で特に切迫感を伴って議論されているのがディープフェイクです。私からお伝えしたい良いニュースとしては、検出不可能なディープフェイクが当たり前となる未来は、堅牢な検出技術の開発と実装、そして国際標準の整備を通じて回避することができる、という見通しが立ちつつあるということです。これは決して楽観論ではなく、検出技術と国際標準を両輪としてかみ合わせれば、現実的に対応可能だという認識が議論の場で共有されつつあるという意味です。
Narrator: ここで重要なのは、「検出技術の開発」と「国際標準」を切り離して論じないという視点です。仮にどこかの国や企業が極めて高精度な検出技術を開発したとしても、それが他の国や別のプラットフォームで通用しなければ、ディープフェイクは検出網の薄い場所へと回り込んでいくだけです。逆に、国際標準だけが先行して整っても、それを支える技術的な裏付けが伴っていなければ、絵に描いた餅になってしまいます。だからこそ私たちは、検出技術の研究開発と国際標準の策定を、同じテーブルの上で同時並行的に進めていく必要があると考えているのです。
Narrator: そしてもう一点、強調しておきたいことがあります。皆さんが政府にいようと、産業界にいようと、学術界にいようと、あるいは市民社会にいようと、ITUの作業はその皆さん全員によって動かされていくものだということです。協力と合意形成(cooperation and consensus building)を通じて、ITUの作業に貢献できる立場にあるという点では、これらのステークホルダーは対等なのです。標準化というと、しばしば政府代表や大企業だけが関わる閉じた世界のように受け取られがちですが、ITUが目指しているのはそのような姿ではありません。むしろ、ディープフェイクや自動運転、エンボディドAIといった領域は、現場の市民が最も直接に影響を受けるテーマであるからこそ、市民社会の声が議論の中で位置を占めていなければ、その標準は本当の意味で社会に根を張ったものにはなり得ないと考えています。
Narrator: 第2章でご紹介したIIT Delhiでのソリューション開発や子どもたちのロボティクスへの挑戦と、このニューヨークでの標準化議論は、一見すると別々の活動のように見えるかもしれません。しかし、現場で生み出された新しいソリューションが、誤情報やディープフェイクのリスクを抱え込まずに世界へ広がっていくためには、その流通の道筋を支える国際標準が必要になります。ソリューションをつくる側と、標準をつくる側が同じ方向を向いていなければ、AI for Goodという理念は実装の段階で必ず軋みを起こしてしまうでしょう。ニューヨークでのITU代表団による検討は、その軋みをあらかじめ取り除くための、地味でありながら不可欠な作業なのだとご理解いただければと思います。
第4章 グローバル課題への貢献と若者・スタートアップによるイノベーション
4-1 医療・教育・クリーンエネルギー・自然災害対応・食料安全保障といったグローバル課題へのAIの潜在力
Narrator: ここまでの章では、AI for Goodがインドの大学キャンパスでどのように形をとり、ニューヨークの国際舞台でどのような議論を呼び起こしているかをお話ししてきました。そのうえで皆さんに改めてお伝えしたいのは、AIにはグローバルな課題を解決するための大きな潜在力がある、ということです。これは抽象的なスローガンではなく、私たちがどのような領域に対してその潜在力を振り向けようとしているのかを具体的に挙げることができます。手の届く価格での医療(affordable health care)、誰もが受けられる教育(education for all)、クリーンエネルギー(clean energy)、自然災害への対応(natural disaster management)、そして食料安全保障(food security)です。世界に影響を及ぼす大きなグローバル課題のすべてが、ここに含まれていると言ってよいと思います。
Narrator: この五つの領域を並べてみると、いずれも特定の国や地域だけで完結する問題ではないという共通点が浮かび上がってきます。医療コストの高騰は先進国と途上国の双方で異なる形をとりながら同時に進行していますし、教育格差は世代を超えて固定化する性質を持っています。クリーンエネルギーへの移行は気候変動という地球規模の課題と一体ですし、自然災害は国境を選びません。食料安全保障も、気候、物流、紛争といった複数の要因が絡み合いながら世界中で揺らいでいます。こうした課題に対してAIが意味のある貢献を果たすためには、第3章で取り上げた標準化の議論や、第5章でご紹介するスキル基盤の整備と歩調を合わせる必要があります。技術そのものの性能を磨くだけでは不十分で、その技術が世界中のどの現場でも同じ作法で扱えるようになっていることが、グローバル課題への貢献を本物にしていくのです。
Narrator: ここで強調しておきたいのは、私たちがAIに「潜在力(potential)」という言葉を当てているという点です。AIがすでにこれらの課題を解決してしまった、と言っているのではありません。むしろ、解決の方向に向けて使われ得る道具がいまや手元にある、という現状認識を共有したうえで、その道具を実際に課題解決へとつなげていく主体が誰なのかを問い直したいのです。その主体の中核として、私たちが特に重視しているのが次にお話しする若者とスタートアップであり、彼らこそがこれらのグローバル課題に対する具体的な応答を、現場のレベルから紡ぎ出していく担い手だと考えています。
4-2 農業現場での若者によるイノベーションとスタートアップによる革新的アプリケーション開発
Field Voice: これは若者をエンパワーする取り組みです。彼らは農場(agriculture farms)で新しいやり方を模索し、現場のあり方を改良しようとしています。スタートアップを立ち上げ、革新的なアプリケーションを開発するという挑戦に、彼らは自ら踏み出しているのです。人工知能を活用して人々の暮らしに影響を与え得るソリューションを構築する、これは本当に大きな機会だと感じています。
Narrator: この声が示しているのは、第4章前半で挙げたグローバル課題のひとつである食料安全保障が、抽象的な政策議論としてではなく、農業の現場における若者たちの手作業として立ち上がりつつあるという事実です。AIの潜在力が机上の数字にとどまらず、土と作物の傍らで稼働するアプリケーションへと変換されていくためには、現場に立ち、その土地の事情を肌で理解している若者たちが鍵となります。彼らは外部から処方箋を持ち込まれるのを待つのではなく、自分たちの農場で何が問題になっているのかを自ら定義し、それに対する解決策をAIを使って組み立てていきます。新しい方法を試し、うまくいかなければ手直しをする、というイノベーションと改善の往復運動こそが、農業という古くからある営みを、AI時代の文脈へと接続し直しているのです。
Narrator: さらに重要なのは、こうした若者たちの動きが、スタートアップという形を取って次々と立ち上がっているという点です。第2章でご紹介したIIT DelhiでのInnovation Factoryやジュネーブのグランドフィナーレへとつながる流れは、まさにこのような現場発のスタートアップたちが、自分たちの解決策を世界に問うていくためのパイプラインの一部です。農場で生まれた小さな工夫が、スタートアップとして法人化され、革新的なアプリケーションとして他の地域や他の国にも展開されていく。この経路があるからこそ、ひとつの農場での発見が、食料安全保障という地球規模の課題に対する貢献へと育っていく可能性が開かれるのです。
Narrator: そしてこの動きは、農業領域だけにとどまるものではありません。手の届く価格での医療、誰もが受けられる教育、クリーンエネルギー、自然災害対応といった領域においても、現場をよく知る若者やスタートアップが、AIを実装の道具として手にしながら、それぞれの課題に独自の角度から挑んでいます。彼らにとってAIは、遠くの研究所で開発された完成品としてではなく、自分たちの問題意識に合わせて組み合わせ、調整し、再構築できる素材として手元にあるのです。AIを活用して人々の暮らしに影響を与えるソリューションをつくり出すという機会は、ごく一部の専門家だけに開かれた特権ではなく、農場に立つ若者から都市の起業家までを含む幅広い層に開かれている、というのが私たちの基本的な認識です。
Narrator: 第4章を通じてお伝えしたかったのは、グローバル課題の重さと、それに挑む若者・スタートアップの軽やかさが、対立するものではなく補い合うものだということです。課題の規模が大きければ大きいほど、それに応えるイノベーションは、トップダウンの計画だけでは決して埋め尽くせない隙間を残します。その隙間を埋めていくのが、農場で手を動かす若者であり、革新的なアプリケーションを世に問うスタートアップなのです。そして、彼らの挑戦が空回りせずに実を結ぶためには、次の章でお話しするスキルとキャパシティの土台が、世界中に広く整っていなければなりません。
第5章 スキルと能力:AI Skills Coalitionと標準化ギャップ解消の取り組み
5-1 AI Skills Coalitionの立ち上げ(60パートナー、13言語、100以上のオンラインコース)
Narrator: 第4章でお話ししたように、グローバル課題に挑む若者やスタートアップが、自分たちの現場でAIを実装の道具として使いこなせるようになるためには、その手前にスキルと能力の基盤が広く整っている必要があります。そのために私たちが立ち上げたのが、AI Skills Coalitionです。これは、AIに関する学びの機会を世界中に届けるための連合体として設計されたもので、ひとつの組織が単独で運営するのではなく、複数のパートナーが力を持ち寄ることで成立しています。現時点で60のパートナーがこの取り組みに加わっており、それぞれが教材の提供や学習者のサポート、あるいはコースの翻訳・現地化といった役割を分担しています。60という数字は、それ自体が一つの到達点というよりも、AIのスキル形成がもはや特定の一国・一機関の専有物ではなくなっていることの表れだと受け止めていただければと思います。
Narrator: AI Skills Coalitionの中核に据えられているのは、オンラインでアクセスできる学習コースです。現時点で100を超える学習コースがオンラインで提供されており、しかもそれらは13の言語で展開されています。100以上のコースを13言語で揃えるという設計は、二つの意味で重要だと考えています。ひとつは、AIの学びを単一の言語圏に閉じ込めない、ということです。技術文書や講義の多くが特定の国際的な言語に偏ってしまうと、それを母語としない学習者は、最初の入り口で大きな壁にぶつかることになります。13言語という幅は、その入り口を可能なかぎり広げ、母語に近い形でAIを学び始められる人を増やすための具体的な答えです。
Narrator: もうひとつの意味は、コースの本数そのものにあります。100以上という規模は、AIをひとつのコースで学び尽くせる単一の学問領域として扱うのではなく、応用分野や学習者の前提知識、目的に応じて多様な入り口を用意するという姿勢の表れでもあります。第4章で触れた医療、教育、クリーンエネルギー、自然災害対応、食料安全保障といった課題群に応えていくには、農場で働く若者と、病院で働く専門職と、エネルギーインフラに関わる技術者では、必要とされる学びの組み立てが当然違ってきます。AI Skills Coalitionが提供するコース群は、そうした多様な現場のそれぞれに対して、自分に合った学習経路を見つけられるだけの幅を用意している、というのが基本的な考え方です。
5-2 ITUによる標準化ギャップ解消プログラムと開発途上国の参加・現地産業への展開支援
Narrator: スキルと能力をめぐるもうひとつの大きな課題は、第3章でお話しした国際標準の世界における「ギャップ」の存在です。ITUは、この標準化ギャップを埋めるために、数多くのプログラムを用意しています。これらのプログラムが目指しているのは、開発途上国が単に標準化のプロセスに「参加」できるようにするということだけではありません。それと同じくらい重要なのが、開発途上国がそれらの標準を自国の産業の現場で実際に「展開し、採用していく(deploy and adopt)」ための、スキルと知識を身につけられるようにするという点です。標準は、つくる側に回れなければ意味が薄れますが、それと同等に、自分たちの現場でその標準を実装し、運用に乗せていける人がいなければ、結局のところ絵に描いた餅で終わってしまいます。
Narrator: ここで強調しておきたいのは、標準化ギャップを「参加のギャップ」と「適用のギャップ」という二つの側面で同時に捉える、というITUの姿勢です。参加のギャップだけを問題にしていると、会議室の構成が多様になっても、標準が現地の産業で使われない、という残念な結果に陥りかねません。逆に、適用の話だけを進めていると、開発途上国は他者がつくった標準をただ受け入れるだけの立場に置かれ、自国の事情に即した標準づくりに発言権を持てなくなってしまいます。両方を同時に押し上げていくこと、それが標準化ギャップの解消というプログラムの本質だと、私たちは考えています。
Field Voice: こうしたエンゲージメントが持つキャパシティビルディングの側面は、若者からスタートアップ、起業家に至るまで、幅広い層に対して立ち上がっているのが見て取れます。
Narrator: この声が指摘しているとおり、ITUの取り組みは、政府代表や標準化の専門家だけを対象としたものではありません。第4章で取り上げた、農場で手を動かす若者や、革新的なアプリケーションを世に問おうとするスタートアップ、そしてその先にいる起業家までを含めて、ひと続きの裾野としてキャパシティビルディングの対象にしているのです。若者がAI Skills Coalitionのオンラインコースを通じて学びの入り口に立ち、その先にスタートアップとしての挑戦があり、さらにその挑戦が国際的な標準の世界とつながっていく。この連続した経路が用意されているからこそ、AI for Goodの活動全体が、一過性のイベントの集合ではなく、世代と階層を貫く持続的な営みとして機能していくのだと言えます。
Narrator: 第1章でお話しした「分断ではなく結束をもたらすAI」という基本理念に立ち戻ってみると、本章で取り上げたスキルと能力という柱は、その理念を最も具体的に体現する領域でもあります。学びの機会がごく一部の人々に集中してしまえば、AIは新たな格差の発生源になりかねません。逆に、13言語で100以上のコースが用意され、開発途上国が標準化の場に席を持ち、現地産業に標準を展開していけるだけのスキルが共有されていけば、AIは人と人をつなぎ直す装置として機能していきます。AI Skills Coalitionと標準化ギャップ解消のプログラムは、そのつなぎ直しを支える土台として、AI for Goodの三本柱を内側から下支えしているのです。