※本記事は、Google DeepMindと英国王立協会が主催したAI for Science Forumにおけるパネルディスカッション「A View from the Frontier」の内容を基に作成されています。パネルはColumbia大学医学部准教授のSiddhartha Mukherjee氏が司会を務め、Broad Institute所属のAnna Greka氏、Institut CurieのAnne Vincent-Salomon教授、European Molecular Biology Laboratory - European Bioinformatics InstituteのJanet Thornton名誉所長が参加しました。
本フォーラムは、創薬の加速から新しいクリーンエネルギー技術のための材料設計まで、AIが世界の重要な課題解決にどのように貢献できるかを探求することを目的としています。本記事の内容は、パネルディスカッションの記録を要約したものです。
なお、本記事の内容は登壇者の見解を正確に反映するよう努めていますが、要約や解釈による誤りがある可能性もありますので、正確な情報については、オリジナルの動画(https://www.youtube.com/watch?v=SM_vpRtg2Ac )をご視聴いただくことをお勧めいたします。Google DeepMindの活動の詳細については、公式サイト(https://deepmind.google/about/ )をご参照ください。
1. パネルの概要と目的
1.1. フロンティアの定義と解釈
Siddhartha Mukherjee:このパネルディスカッションでは、科学のフロンティアについて広範な解釈で議論を進めていきたいと思います。AIのフロンティアを考える上で、最も重要な境界線は「人間」との関係です。もう一つの重要な観点は、AIによって集積される知識がどのように発見に影響を与えるかということです。
また、これらの強力なツールをどのように管理していくかという点も、私たちが直面する新たなフロンティアとなっています。これは必然的に「人間とは何か」という根本的な問いにも繋がっていきます。
Janet Thornton:その通りですね。私の経験から言えば、特にタンパク質構造の分野では、AIによって従来の境界線が大きく変化しました。20個の構造からスタートし、現在では2億以上のモデリングが可能になっています。これは単なる量的な変化ではなく、科学の方法論自体を変えるフロンティアだと考えています。
Anna Greka:私も同意見です。細胞生物学の観点からすると、AIは新しい発見の方法を提供するだけでなく、生命の基本単位である細胞の理解という本質的なフロンティアに私たちを導いています。特に、遺伝子の変異がどのように細胞内の回路を破壊するかを理解する上で、AIは重要なツールとなっています。
Anne Vincent-Salomon:病理学の視点から付け加えさせていただくと、AIは診断という専門的な領域に新しい可能性をもたらしています。しかし、ここで重要なのは、最終的な診断の責任は依然として病理医が持つという点です。これは人間の専門知識とAIのツールの境界線を示す良い例だと思います。
Siddhartha Mukherjee:まさに私たちが直面しているのは、技術的なフロンティアだけでなく、倫理的、社会的、そして実践的なフロンティアの複合体なのです。これらの境界線をどのように認識し、管理していくかが、今後の科学の発展において極めて重要になってくるでしょう。
1.2. 人間性の考察
Siddhartha Mukherjee:私たちが考える「人間とは何か」という問いに対して、様々な視点があります。ある人々にとって、人間は情報の集積点です。しかし、それ以上に重要なのは、人間には固有の人格があり、喜び、悲しみ、悲嘆といった感情を持つ存在だということです。
Anna Greka:その通りですね。私の研究分野である細胞生物学の観点からも、人間を単なる細胞の集合体として見ることはできません。患者さんたちは病気に苦しみ、その家族や友人、愛する人々も同様に苦痛を感じます。この感情的な側面は、私たちの研究において常に意識しなければならない要素です。
Janet Thornton:私も同感です。タンパク質構造の研究者として、分子レベルの理解を追求していますが、それは常に人間の尊厳を守るためのものでなければなりません。特に医療データを扱う際には、プライバシーの保護が極めて重要になってきます。
Anne Vincent-Salomon:病理医として、日々患者さんの組織を診断していますが、それは単なる細胞の集まりではありません。各サンプルの背後には、病気と闘う人間がいて、その人には家族がいて、希望があり、不安があります。私たちはそのような人間の脆弱性を常に意識しながら、最善の医療を提供する必要があります。
Siddhartha Mukherjee:そうですね。人間の尊厳と共感の重要性は、AIの発展とともにますます重要になってくると考えています。私たちは技術の進歩を追求しながらも、常に人間の本質的な価値を守り、育んでいく必要があります。これは科学者としての私たちの重要な責務の一つだと考えています。
Anne Vincent-Salomon:私も同意見です。特に医療の現場では、患者さんのプライバシーと尊厳を守りながら、いかに最新の技術を活用していくか、その両立が重要な課題となっています。人間性への深い理解と敬意なくしては、真の医療の発展はないと確信しています。
1.3. パネルの進行構成
Siddhartha Mukherjee:このパネルディスカッションを3つの主要なセクションで進めていきたいと思います。まず第一に、各参加者がそれぞれの分野でAIをどのように活用しているか、具体的な発見や事例を共有していただきます。特に、AIが発見のプロセスにどのように関わっているのか、その具体的な実例に焦点を当てたいと思います。
Janet Thornton:それは良い進め方ですね。タンパク質構造解析の分野では、AIの活用により劇的な変化が起きています。この変化がどのように研究を変革したのか、具体的な事例を共有できると思います。
Siddhartha Mukherjee:第二のセクションでは、より議論を深め、私が「AI福島」と呼ぶような潜在的なリスクについて検討したいと考えています。これは、データの漏洩やプライバシーの侵害、あるいは危険な発見につながる可能性など、避けては通れない課題です。最近の選挙でAIが誤情報の拡散ツールとして使用された例もありますが、これは私たちの分野以外での警鐘となる事例です。
Anna Greka:その議論は重要ですね。細胞生物学の分野でも、データの取り扱いには細心の注意を払う必要があります。特に患者さんの遺伝情報を扱う際には、プライバシーの保護が極めて重要です。
Anne Vincent-Salomon:病理学の立場からも、データセキュリティの課題は私たちが日々直面している重要な問題です。これらのリスクにどう対応していくか、具体的な議論ができることを期待しています。
Siddhartha Mukherjee:そして最後の第三セクションでは、より楽観的な視点から、各分野の将来展望について議論したいと思います。AIがもたらす可能性と、それをどのように活用していけるのか、リスクを軽減しながら発展させていく方策について、皆さんのビジョンを共有していただきたいと考えています。このような構成で、包括的かつ建設的な議論ができることを期待しています。
2. 各分野におけるAIの活用事例
2.1. 病理学における活用
Anne Vincent-Salomon:病理医として、また新しい女性のがん研究所の責任者として、私たちはAIを活用した様々な革新的な取り組みを行っています。特に病理診断の分野では、複数のスタートアップ企業と協力して診断支援ツールの開発と検証を進めています。これらのツールは診断のスピードと効率を向上させる可能性を秘めていますが、最も重要なのは精度と効率性の両立です。
Siddhartha Mukherjee:その診断支援ツールの具体的な成果について、もう少し詳しく教えていただけますか?
Anne Vincent-Salomon:はい。特に興味深い成果の一つが、H&E染色スライドからBRCA1およびBRCA2の状態を予測する技術の開発です。これはパリのエコール・デ・ミーヌPSL大学のThomas Walter氏の研究室との共同研究で実現したものです。しかし、ここで強調したいのは、最終的な診断の責任は依然として病理医が担うということです。AIはあくまでも支援ツールとして位置づけられます。
実際のところ、私の予測では、少なくとも近い将来において、「これは乳がんです」という最終的な診断を下すのは常に病理医であり続けるでしょう。Institut Curie、PSL大学、そしてInsermによって設立された女性のがん研究所では、産業界とも協力しながら、新しいアルゴリズムの開発を進めています。
Janet Thornton:それは興味深いアプローチですね。特に病理画像のデジタル化は、AIの活用において重要な基盤となりますが、その実装にはどのような課題がありますか?
Anne Vincent-Salomon:確かに、デジタル病理学への移行には大きな課題があります。特に、従来の病理検査室から完全にデジタル化された検査室への移行には多大なコストがかかります。この移行をどのように実現するかは、各国の政治的決定や経済状況、医療システムの組織構造に大きく依存します。また、基礎となる大規模データセットの構築も重要な課題です。例えば、基盤モデルの構築には100万枚のデジタル化されたスライドが必要ですが、これらを収集し整理することは膨大な人的作業を必要とします。
2.2. タンパク質構造解析での革新
Janet Thornton:計算生物学者として、私はタンパク質構造の研究分野で長年働いてきました。昼食時に皆さんがご覧になったタンパク質構造の回転する美しいディスプレイは、私にとって世界で最も美しいものの一つです。この分野での進歩は驚異的でした。私が研究を始めた当時、わずか20個のタンパク質構造しかありませんでしたが、現在ではAlphaFoldにより2億1400万ものタンパク質構造をモデリングできるようになっています。
Siddhartha Mukherjee:その変化は確かに劇的ですね。構造生物学者たちはこの新しいツールをどのように活用しているのでしょうか?
Janet Thornton:世界中の構造生物学者たちが、このデータを自身の構造解析の補助や検証に活用しています。これは分野全体を完全に変革しました。最近のAlphaFoldの進歩により、当初の機能を超えて、マルチマー(複数のタンパク質が結合した複合体)の解析や、リガンド結合の予測も可能になってきています。
Anna Greka:私たちの研究でも、AlphaFoldは重要な役割を果たしています。特に、4つのサブユニットが組み合わさったヘテロテトラマー構造の解析では、特定の薬剤が結合するポケットの構造を明らかにすることができました。
Janet Thornton:その通りです。タンパク質は他の分子と相互作用することで初めて機能を発揮します。これらの相互作用や、進化の過程での調節を理解し予測できることは、分子生物学における最も興味深く、かつ重要な課題の一つです。さらに、細胞生物学全体や人体の理解、特に医療分野への応用を考えると、個々の細胞でのデータを統合し、細胞間の相互作用を理解することが、今後の生命理解の基盤となるでしょう。
Siddhartha Mukherjee:つまり、AIによる構造予測は、単なる構造の理解を超えて、生命システム全体の理解へと発展していく可能性があるということですね。
Janet Thornton:その通りです。これは私たちの生命理解の未来の基礎となる重要な進歩だと確信しています。
2.3. 細胞生物学での発見
Anna Greka:医師科学者かつ細胞生物学者として、私は膜タンパク質の研究を行っています。私たちの研究グループでは、AIを活用した科学的発見の具体例をお話しできます。これは地中海のキプロス島で始まった研究です。
長年にわたり、キプロス島の多くの家族で、世代ごとに複数のメンバーが原因不明の腎臓病で苦しみ、死亡していました。Broad Instituteでの研究により、この謎は解明されました。これは、ムチン1という糖タンパク質の遺伝子の可変数タンデムリピート領域という、ゲノムの非常に解析が困難な部分に隠れていた遺伝子の誤りが原因でした。
Siddhartha Mukherjee:その発見から治療法の開発までの過程はどのようなものでしたか?
Anna Greka:私たちのチームは、この遺伝子の誤りがどのように腎臓細胞内の回路を破壊するのかを解明する課題に取り組みました。その過程で機械学習を画像認識に活用し、数年にわたって約1500万個の細胞の画像を分析しました。これにより、細胞内の回路がどのように破壊されているかを評価することができました。
さらに、画像ベースのスクリーニングを通じて、治療薬となる可能性のある低分子化合物を発見しました。研究の結果、DNAの誤りによる変異が、タンパク質の形状異常を引き起こし、それが細胞内に蓄積することが分かりました。この蓄積は、私が「ノーダル分子」と呼ぶカーゴレセプターによって引き起こされていました。このカーゴレセプターは、形状異常のタンパク質を捕捉し、強く保持するため、最終的に有害物質の蓄積により細胞が死滅してしまいます。
Janet Thornton:その発見は他の疾患にも応用できる可能性がありますか?
Anna Greka:はい、実はこの発見は、私たちが「ノーダルメカニズム」と呼ぶものの一例であることが判明しました。このメカニズムは、腎臓病を引き起こす特定の異常タンパク質だけでなく、アルツハイマー病の一形態や失明の原因となる異常タンパク質、さらには肝臓や肺の疾患にも関連していることが分かりました。
最後に、AlphaFoldを使用して、4つのサブユニットが組み合わさった複合体(ヘテロテトラマー構造)を解析し、このノーダルターゲットを阻害できる特異的な薬剤結合ポケットを特定することができました。この成果は現在、製薬企業との協力のもと、患者さんへの治療法として開発が進められています。
2.4. 薬剤開発での予期せぬ発見
Siddhartha Mukherjee:私は薬剤開発者および臨床科学者として、特に抗体薬物複合体の開発に取り組んでいます。私たちの研究室では、AlphaFoldを使用して抗体の構造を解析し、毒素を結合させる最適な位置を特定する研究を行っています。その過程で、非常に興味深い発見がありました。
特にHER2陽性乳がんの治療薬であるENHERTUの研究では重要な発見がありました。この薬は、Herceptin耐性の乳がん患者さんによく使用されていますが、10~20%の患者さんに間質性肺疾患(ILD)が発症し、そのうち2~3%が死亡するという深刻な副作用がありました。しかし、この副作用のメカニズムは長年不明でした。
Anna Greka:その死亡率は非常に深刻ですね。それでも患者さんがその治療を選択するということは、それだけ切迫した状況だということでしょうか?
Siddhartha Mukherjee:その通りです。患者さんたちは2~3%という死亡リスクを受け入れてでもENHERTUによる治療を選択せざるを得ないほど、切実な状況にありました。
私たちは様々な薬物毒素の組み合わせをAIモデルに入力し、ILDのモデルで検証していました。その過程で、AIモジュールが「抗体とリンカーだけの組み合わせ」という、私たちが愚かだと考えていた実験を提案してきました。リンカーは単なる結合要素であり、受動的な部分だと考えていたからです。
Janet Thornton:それは興味深い提案ですね。結果はどうだったのでしょうか?
Siddhartha Mukherjee:驚くべきことに、リンカー自体が毒性を持っていることが判明したのです。これは、優秀な大学院生なら提案したかもしれない対照実験でしたが、私たちは完全に見過ごしていました。このデータは現在論文として発表準備中です。これは、AIが人間の思い込みを超えて、新しい視点を提供できる良い例となりました。
3. データに関する重要な課題
3.1. アクセス、品質、統合の問題
Anne Vincent-Salomon:病理学の分野では、各国でデジタル化への対応に大きな違いが見られます。例えばイギリスでは、政府の決定により多くの病理部門でデジタル化が進められています。一方、フランスのような国々では、その進展は比較的緩やかです。
Siddhartha Mukherjee:デジタル化の具体的な課題とはどのようなものでしょうか?
Anne Vincent-Salomon:通常の病理検査室から完全にデジタル化された検査室への移行には、莫大なコストがかかります。これが大きなボトルネックとなっています。移行の実現には、政府による支援が必要か、あるいは各医療機関が独自に判断を下す必要があります。
さらに、基盤モデルの構築には100万枚規模のデジタル化されたスライドが必要です。これらのスライドを保管トレイから取り出し、デジタル化する作業には膨大な人的労力が必要となります。
Janet Thornton:私たちの分野でも同様の課題がありました。European Bioinformatics Instituteの所長として、分子生物学データの収集、キュレーション、保管に関する多くの議論に関わってきました。データの標準化と統合は常に重要な課題でした。
Anna Greka:その通りです。しかし、私たちはすでに何百万人もの人々のゲノムシーケンスを行い、それを管理するシステムを構築してきました。例えば、世界中の病理ラボのデータを集約すれば、画像認識のための豊富なトレーニングデータが得られるはずです。既存のシステムを基盤として、どのように発展させていけるかを考えるべきでしょう。
Siddhartha Mukherjee:確かに、データの統合は重要な課題ですね。特に医療分野では、データの質と標準化が治療成果に直接影響を与える可能性があります。
Anne Vincent-Salomon:その通りです。今後は、日々の診療の中でデータを前向きに収集していく体制づくりが重要になってくると考えています。大規模なデータセットの構築には、組織的な取り組みが不可欠です。
3.2. データの所有権をめぐる議論
Anne Vincent-Salomon:データの所有権の問題は、国によって法律の解釈が大きく異なります。例えばフランスでは、病理スライドは患者ファイルの一部とされ、病院のデータウェアハウスに帰属します。しかし、私の個人的な見解では、組織のブロックやスライドは患者さんの身体から得られたものであり、本来は患者さん自身のものではないでしょうか。
Siddhartha Mukherjee:その視点は重要ですね。例えば、患者さんに同意書を渡す際の表現の違いによって、データ提供への反応が大きく変わることがあります。「他の乳がん患者さんを助けるためにデータを提供してください」と言えば、ほとんどの患者さんが同意してくれます。しかし、「あるGで始まる企業がデータを収集し、潜在的に収益化する可能性がある」と言うと、患者さんの反応は大きく異なるでしょう。
Janet Thornton:実際、New York TimesがOpenAIを訴えているように、データの商業利用は非常に微妙な問題です。作家たちもAIモデルによる自身の作品の使用について訴訟を起こしています。
Anna Greka:私たち研究者の立場からすると、匿名化されたデータを共有することで、より多くの患者さんを助けることができます。しかし、そのデータの商業的価値をどのように扱うかは、確かに難しい問題です。
Anne Vincent-Salomon:この問題の解決には、法律家や患者の権利擁護者、医療従事者が一緒になって議論を重ねる必要があります。データの所有権に関する明確な枠組みを作ることは、今後のAI開発にとって極めて重要だと考えています。
Siddhartha Mukherjee:そうですね。データ提供の公共性と商業利用の間のバランスをどう取るか、これは私たちが直面している最も重要な課題の一つだと言えます。患者さんの権利を守りながら、医学の進歩にも貢献できる仕組みを作っていく必要があります。
3.3. プライバシーと公共利益の均衡
Janet Thornton:European Bioinformatics Instituteの所長として、特にタンパク質データバンクに関する経験から、データ共有の歴史についてお話しできます。初期の頃、結晶構造の決定には5年もの時間がかかることがあり、結晶学者たちは自分たちのデータを共有することに非常に消極的でした。
Siddhartha Mukherjee:その状況はどのように変化していったのですか?
Janet Thornton:実は、この変化には20年もの歳月を要しました。最終的な転換点は、国際結晶学連合が声明を出し、データを登録しない限り特定のジャーナルには論文を掲載できないという方針を打ち出したことでした。興味深いことに、当時、最も優れた研究者の中にもデータ共有を拒む人々がいました。
Anna Greka:その教訓は医療データにも適用できそうですね。
Janet Thornton:はい。医療データに関しては、私たちは匿名化や疑似匿名化のための強力なツールを持っています。英国では、NHSを通じて素晴的な機会があり、Health Data Researchというプロジェクトがデータ共有を促進しています。各病院には現在、セキュアなデータ環境が整備されています。
これは非常に長期的なプロセスですが、患者さんの同意と理解を得ながら、医師の理解も得ていく必要があります。先週金曜日に発表されたCathie Sudlowによる健康データに関する報告書は、英国におけるデータ環境の現状を詳細に描写しています。
Siddhartha Mukherjee:公共データの価値については、どのようにお考えですか?
Janet Thornton:特定の変異とその治療法に関する知識は、本質的に公共財であるべきです。少なくとも学術研究から得られたデータについては、公開されるべきだと考えています。企業が独自に収集したデータは別として、公的資金で行われた研究のデータは共有されるべきです。
Anne Vincent-Salomon:同感です。ただし、インフラ整備には政府やすべての医療機関の協力が不可欠です。データの共有と保護のバランスを取りながら、医学の進歩に貢献できる仕組みを作っていく必要があります。
4. リスクと課題
4.1. データプライバシーの侵害
Anna Greka:データプライバシーの侵害は最も重要な懸念事項の一つです。私たちの研究分野では、患者の遺伝情報や細胞データを扱いますが、これらの情報が漏洩した場合の影響は計り知れません。
Siddhartha Mukherjee:その通りですね。私は「AI福島」という言葉を使っていますが、データの漏洩やプライバシーの侵害は、避けられない事態として予期しておく必要があります。実際に、選挙でのAIの誤用など、すでに警鐘となる事例が出てきています。
Anne Vincent-Salomon:病院システムへのサイバー攻撃が発生した際の被害は壊滅的です。フランスでは、病院のITシステムへの攻撃が実際に起きており、その影響は深刻でした。私たちは病院のセキュリティ確保に真剣に取り組む必要があります。
Janet Thornton:European Bioinformatics Instituteでの経験から言えば、データセキュリティは技術的な問題だけでなく、組織的な対応が必要です。私たちは各病院にセキュアなデータ環境を構築していますが、それだけでは十分ではありません。
Anna Greka:そうですね。私たちは既存の匿名化システムを持っていますが、それらを継続的に改善し、新しい脅威に対応していく必要があります。特に遺伝情報のような機密性の高いデータについては、より強固な保護が必要です。
Anne Vincent-Salomon:私も同意見です。患者さんの信頼を維持するためには、データセキュリティへの投資は避けて通れません。これは病院の経営陣も十分に理解すべき課題です。
4.2. バイオウェポン開発の可能性
Anna Greka:AIの誤用や悪用の可能性について、私たちは真剣に考える必要があります。特にバイオウェポンの開発は現実的な脅威として認識しています。実際、今年初めに国連でこの問題について議論する機会がありました。
Siddhartha Mukherjee:具体的にはどのような対策が議論されているのでしょうか?
Anna Greka:重要なのは、これらのツールを責任を持って使用することです。価値のある人類の試みには常にリスクが伴うものですが、だからといってそれを避けることはできません。むしろ、適切な規制の枠組みを作ることが重要です。過度な規制は科学的発見を妨げる可能性がありますが、かといって規制が不十分であってもいけません。
Janet Thornton:タンパク質構造解析の分野でも同様の懸念があります。AlphaFoldのようなツールは、タンパク質設計を可能にしましたが、それは同時に潜在的な危険性も持っています。技術的な制限を設けることも重要ですが、それ以上に重要なのは、Paul Nurseが指摘したように、一般市民の理解を深めることです。
Anne Vincent-Salomon:私も同意見です。予期せぬ事態に対する準備も必要です。データ漏洩が日常的に起こっているように、バイオセキュリティの脅威も現実のものとして捉える必要があります。
Anna Greka:そうですね。今後は国際的な監視体制の構築が不可欠になってくるでしょう。様々な組織や機関が既にこの問題に取り組み始めていることは心強い動きです。ただし、繰り返しになりますが、規制と科学の発展のバランスを取ることが極めて重要です。
4.3. 規制のバランス
Anna Greka:私たちは、科学の進歩を阻害せず、かつ適切な規制を確保するという微妙なバランスを取る必要があります。この課題に対しては、様々な組織や機関が既に取り組みを始めています。ただし、規制を設ける際には、科学的発見のプロセスを不必要に妨げないよう、慎重に検討する必要があります。
Anne Vincent-Salomon:その通りですね。フランスでの経験から言えば、規制はしばしば各国の法制度や文化的背景に大きく依存します。しかし、科学は本質的に国際的なものです。そのため、私たちは国際的な協力体制を構築しながら、同時に各国の特殊性も考慮に入れる必要があります。
Janet Thornton:結晶学の分野での経験を共有させていただくと、データ共有の仕組みを確立するのに20年かかりました。しかし、最終的にはコミュニティ全体が利益を享受することができました。現在の課題に対しても、同様に長期的な視点で取り組む必要があります。
Siddhartha Mukherjee:規制の在り方について、具体的にはどのようなアプローチを考えていますか?
Anna Greka:例えば、国連での議論では、過度な規制を避けつつ、科学の発展と安全性の確保を両立させる方法について検討しています。重要なのは、規制が科学的発見を促進する枠組みとなるように設計することです。
Anne Vincent-Salomon:私も同意見です。多分野からの専門家の参加を得て、人々を教育し、新しい技術に対する恐れではなく理解を深めることが重要です。科学の発展と社会の理解は常に並行して進めていく必要があります。
5. 今後5-10年の展望
5.1. 予防的病理学の発展
Anne Vincent-Salomon:私の展望として、病理学の分野で最も期待しているのは、がんの予防に焦点を当てたツールの開発です。私たちは病理医の作業を効率化するツールを開発していますが、同時により重要なのは、がんの予防と早期発見に向けた取り組みです。
Siddhartha Mukherjee:がん予防という観点で、具体的にどのような進展を期待していますか?
Anne Vincent-Salomon:がんの理解を深めるためには、様々なデータを統合して分析することが不可欠です。私たちの研究所では、病理画像だけでなく、遺伝子データ、臨床データなど、多様なデータを統合的に分析することで、がんの予防と早期発見に向けた新しい知見を得ることを目指しています。
Janet Thornton:それは興味深いアプローチですね。分子レベルでの理解と臨床データの統合は、確かに重要です。タンパク質構造の知見も、がんのメカニズム解明に貢献できるかもしれません。
Anna Greka:私も同感です。細胞レベルでの理解を深めることで、がんの初期段階での変化を捉えることができるかもしれません。特に、AIを活用した画像解析技術の発展は、病理医の診断精度向上に大きく貢献すると期待しています。
Anne Vincent-Salomon:はい。最終的には、これらの技術やデータの統合により、個々の患者さんに最適化された予防的アプローチが可能になることを期待しています。ただし、これらのツールは病理医の判断を支援するものであり、置き換えるものではありません。人間の専門知識と技術の組み合わせが、最も効果的な結果をもたらすと確信しています。
5.2. 生命の化学と生物学の理解深化
Janet Thornton:生命の化学と生物学の理解において、まだ多くの未知の領域が存在しています。私たちの目標は、これらの未知の領域を解明し、その知識を医療分野に応用することです。例えば、タンパク質構造の理解は、生命システムの基本的な仕組みの解明に直結しています。
Siddhartha Mukherjee:その知識を実際の医療現場でどのように活用することを想定していますか?
Janet Thornton:私たちが目指しているのは、すべての知識を予防医学に活用することです。特に、分子レベルでの理解を深めることで、疾病の予防や早期発見が可能になると考えています。これは単なる基礎研究ではなく、世界をより良い場所にするための実践的な取り組みです。
Anna Greka:私も同感です。細胞生物学の観点からも、生命システムの理解を深めることは極めて重要です。特に、個々の細胞がどのように他の細胞と相互作用し、どのように組織や器官として機能するのかを理解することが、次の大きな課題となるでしょう。
Janet Thornton:その通りです。今後5年から10年の間に、個々の細胞レベルでのデータを統合し、人体全体としての理解を深めていく必要があります。これは医学の未来の基礎となる重要な進歩です。
Anne Vincent-Salomon:医療現場の立場からすると、これらの基礎的な理解が、実際の診断や治療にどのように活かせるのかが重要になってきます。理論と実践の橋渡しが、今後の大きな課題になるでしょう。
Janet Thornton:はい、その通りです。私たちの研究成果を実用化し、実際の医療現場で活用できるようにすることが、最終的な目標です。そのためには、基礎研究者と臨床医の密接な協力が不可欠です。
5.3. 細胞研究のための新たなデータセット構築
Anna Greka:生命の基本単位である細胞を理解するためには、PDB(タンパク質構造データバンク)に相当する、包括的な細胞データベースが必要です。昨晩John Jumperと議論し、またDemisとも以前話し合いましたが、もし私たちが生命を理解したいのであれば、その基本単位である細胞を理解する必要があります。
Siddhartha Mukherjee:具体的にどのようなデータセットを想定していますか?
Anna Greka:私は合成データに対して懐疑的な立場をとっています。コンピュータサイエンティストではなく細胞生物学者として、実験から得られる実データの重要性を強調したいと思います。私が考えているのは、人間の細胞に関する体系的な摂動データセットの構築です。
PushmeetやJohn Jumperとの議論でも触れましたが、私たちには現時点でそのようなクリーンなデータセットがありません。私は今後5年間で、このようなデータセットの構築を目指したムーンショットプロジェクトを主導したいと考えています。
Janet Thornton:それは野心的なプロジェクトですね。PDBの成功例から学べることはありますか?
Anna Greka:はい。私たちは皆、何百万もの細胞のデータを生成しています。単一細胞データ、トランスクリプトームデータ、イメージングデータなど、様々なものがありますが、これらを意味のある方法で統合することができていません。PDBのような統一されたデータベースがあれば、将来的にはシミュレーションや合成データの基盤となる可能性があります。ただし、まずは実験的に得られた確かなデータセットが必要です。
Siddhartha Mukherjee:このプロジェクトの実現可能性はどのように評価していますか?
Anna Greka:これは確かに大きな挑戦ですが、人間の細胞の体系的な摂動データセットを構築することは、今後の生命科学研究にとって不可欠だと考えています。このデータセットは、将来的な解析やAIモデルの基盤となり、細胞生物学の理解を大きく前進させることができるでしょう。