※本記事は、Lila Ibrahim氏(Google DeepMind最高執行責任者)による、Dame Angela McLean氏(英国政府主席科学顧問)、Ilan Gur氏(先端研究発明機関[ARIA]CEO)、Sir Paul Nurse氏(フランシス・クリック研究所所長)とのパネルディスカッション「Collaborating for Impact | AI for Science Forum」の内容を基に作成されています。
このフォーラムは、Google DeepMind、王立協会、および世界中の著名な科学者たちが、AIが新しい科学的発見の時代をどのように実現するかを探求することを目的として開催されました。医薬品開発の加速から、クリーンエネルギー技術のための新材料設計まで、AIが科学者たちに世界の最も切迫した課題に取り組む力を与えている状況について議論されています。
本記事では、パネルディスカッションの内容を要約しております。なお、本記事の内容は登壇者の見解を正確に反映するよう努めていますが、要約や解釈による誤りがある可能性もありますので、正確な情報や文脈については、Google DeepMindのウェブサイト(https://deepmind.google/about/ )をご参照ください。
1. イントロダクション
1.1. AIが科学にもたらす変革の時期にいる認識
Lila Ibrahim(Google DeepMind最高執行責任者):私はこれまで多くの技術変革を経験してきましたが、現在、私たちは明らかな転換点にいます。科学分野におけるAIの台頭は、新しい科学的手法としての可能性を示しています。このような重要な変革期において、私たちは意図的かつ慎重なアプローチを取る必要があります。
Paul Nurse(フランシス・クリック研究所所長):確かにその通りです。私たちは科学の複雑さが増大している世界に生きています。数十年にわたる科学への関与を通じて、それを実感しています。私の白髪を見ればわかる通り、長年の経験からそう言えます。
Angela McLean(英国政府主席科学顧問):私たちは現在、ビッグサイエンスの革命を経て、AlphaFoldのような分散型の共同プロジェクトへと移行する時期にいます。このような変革は、慎重に管理されなければなりません。
Ilan Gur(先端研究発明機関[ARIA]CEO):ARIAでは、既存の豊かな科学研究のエコシステム、人材、能力を活用しながら、遠い将来に大きな影響を与える可能性のあるブレークスルーを追求しています。AIの台頭は、このような取り組みをさらに加速させる可能性を秘めています。
1.2. 1600年代からの科学の進化を振り返る
Lila Ibrahim:開会の映像で見たように、1600年代から科学分野では驚くべき変化がありました。私たちは巨人の肩の上に立っており、過去への敬意を払う必要があります。しかし同時に、AIを新しい科学的手法として活用するこの移行期において、どのように管理していくべきか、意図的かつ慎重に考える必要があります。
Paul Nurse:私は科学の本質について強調したいことがあります。科学は真実の追求であり、証拠、データ、そして理性的な議論に基づいています。トランプ氏には今後数週間、これらすべてを覚えておいていただきたいものです。しかし、発見から応用までのスペクトルによって、その運用方法は異なります。これは時として我々の政治的指導者に見落とされがちな点です。
Angela McLean:私の視点からは、科学の発展における重要な転換点として、AlphaFoldプロジェクトを挙げたいと思います。このプロジェクトは「このDNA配列がどのようにしてこの形のタンパク質を作るのか」という明確な問いを設定し、競争的な環境の中で進められました。このような明確な問いの設定は、今後の科学の発展においても重要な要素となるでしょう。
Ilan Gur:ARIAでは、英国の豊かな科学研究のエコシステムを基盤としながら、人類全体に深い影響を与える可能性のあるブレークスルーを追求しています。過去の科学的発見の上に立ちながら、新しい時代に向けた挑戦的な取り組みを進めています。
2. 科学の変化と課題
2.1. 科学の複雑化とサイロ化の問題
Paul Nurse:私たちは今、科学の世界がかつてないほど複雑化している状況に直面しています。数十年にわたる科学への関与を通じて、私は主に2つの大きな変化を目の当たりにしてきました。第一に科学分野の大幅な拡大、そして第二に科学の複雑性の増大です。これらの変化は、自己参照的なサイロ、つまり分野ごとの独立した領域の形成につながっています。
Lila Ibrahim:Paul、その通りですね。最高執行責任者として、私もこの問題に直面しています。内部のサイロをどのように打破するか、あるいはその間の透過性をどのように高めるか、さらに多様な視点やグローバルな専門知識をどのように取り入れるかという課題に日々取り組んでいます。
Angela McLean:私の経験からも、その課題は明らかです。数学や物理学では、リーマン予想のような明確な未解決問題が存在しますが、生物学のような分野では、問題設定自体がより多様で階層的です。この違いが、分野間の協力をより困難にしている一因だと考えています。
Paul Nurse:そうですね、Angela。生物学者たちは完全な無政府主義者のようなものです。しかし、これは本当の問題なのです。私たちは科学コミュニティ全体として、これらのサイロを打破し、異なる分野の科学者たちが単に協力するだけでなく、互いに対話し、交流する方法を見出す必要があります。これは特に人工知能に関して重要です。AIが新しい「神官階級」のように他の科学的取り組みから切り離されることは避けなければなりません。
2.2. 分野横断的な対話の必要性
Paul Nurse:分野間の対話を促進することは極めて重要ですが、それには大きな課題があります。例えば、医師と分子生物学者の例を考えてみましょう。医師の世界は階層的な構造を持っています。実際、手術を受ける際には、私のような分子生物学者が実験的な処置を行うのではなく、階層的な訓練を受けた医師に任せることができて良かったと思うはずです。
Angela McLean:その通りです。分野によって問題の設定方法も大きく異なります。例えば、数学や物理学では未解決問題が明確に定義されています。昨夜の議論でも、リーマン予想の解決が重要だということは参加者の間で一致していました。しかし生物学の場合、誰もが取り組むべき明確な問題というものが存在せず、より民主的で平坦な構造になっています。
Paul Nurse:私はAngelaの指摘に付け加えたいのですが、生物学者たちは完全な無政府主義者のようなものですね。しかし、これこそが現代科学の課題なのです。異なる訓練を受けた人々が一緒に仕事をすることを期待していますが、それは自然には機能しません。意識的に取り組む必要があります。
Lila Ibrahim:確かにその通りですね。私たちは異なる視点や専門知識をどのように組み合わせるかという課題に直面しています。これは単なる技術的な問題ではなく、むしろ社会科学的な側面を持つ問題です。組織の在り方、コミュニケーションの方法、そして異なる分野間の協力の仕方について、慎重に考える必要があります。
Ilan Gur:ARIAでは、この課題に対して意図的に取り組んでいます。例えば、AI関連のプログラムと気候変動の予測に関するプログラムの研究者たちが互いに対話する機会を積極的に設けています。このような分野横断的な対話から、予期せぬ革新的なアイデアが生まれる可能性があります。
2.3. ビッグサイエンスから分散型協働への移行
Angela McLean:私たちは、中央集権的な指揮命令系統で運営される大規模科学プロジェクトの時代から、AlphaFoldのような分散型の共同プロジェクトの時代へと移行しています。AlphaFoldプロジェクトの成功は、データキュレーションの重要性を示す素晴らしい例です。これこそがビッグサイエンスの新しい形だと言えるでしょう。単一の中央集権的なプロジェクトとして運営されたわけではありませんが、「このDNA配列がどのようにしてこの形のタンパク質を作るのか」という明確な問いを持っていました。この問いが明確だったからこそ、競争的な環境の中で「これはあれより優れている」という評価が可能だったのです。
Paul Nurse:そうですね。私は特に生物学の発見研究において、むしろ焦点を絞らない研究組織が必要だと考えています。問題の多様性、それに取り組む人々の多様性に対応するためです。私たちがすべきことは、様々な取り組みを許容しながら、実際に機能するものを見出していくことです。知識の生成だけでなく、その捕捉についても考える必要があります。
Ilan Gur:ARIAでは、研究の焦点を絞ることと分散型の協力を両立させる approach を採用しています。例えば、我々のプログラムディレクターの一人であるSurajは、AI計算の資源需要と地政学的制約を考慮した上で、新しいコンピューティングの可能性を追求しています。自然のエネルギー最小化の仕組みとAIの勾配降下法の類似性に着目し、物理システムや自然の動作に基づく全く新しい計算方法を探求しています。
Lila Ibrahim:私たちGoogle DeepMindとしても、このような変化を重要視しています。単一組織による研究開発から、グローバルな協力体制へと移行することで、より大きなインパクトを生み出すことができると考えています。ただし、その際には明確な目標設定と、適切な評価基準の確立が不可欠です。
3. 組織のベストプラクティス
3.1. ARIAの"People then Projects"アプローチ
Ilan Gur:ARIAにおいて、私たちは「People then Projects(人が先、プロジェクトは後)」という基本的な考え方を採用しています。社会のための研究資金の使い方を考えたとき、既知の問題や確立された分野への資金提供は容易です。しかし、ARIAは異なることを目指して設立されました。何か異なることをしたいのなら、物事を異なる視点で見ることのできる人材が必要です。
そこで私たちは、3〜5年の限定任期で科学者やエンジニアをARIAに招聘し、特定の研究機関や分野、制度の枠を超えた「研究のコンステレーション(星座)」を形成する戦略を取っています。
Lila Ibrahim:興味深いアプローチですね。具体的なプログラムの例を挙げていただけますか?
Ilan Gur:例えば、企業家でもある電気工学者のSurajが率いる「Scaling Compute」プログラムがあります。彼の洞察は、AIが限られた数学的プリミティブで膨大な価値を生み出す可能性があるという点に着目しています。特に興味深いのは、勾配降下法のような手法が、自然界のエネルギー最小化の方法と類似しているという点です。この観察から、自然システムの動作原理に基づく全く新しいコンピューティング手法の開発を目指しています。
また、数学者のDavidadが主導するプログラムでは、形式数学のコミュニティがAIコミュニティと十分に統合されていないという課題に取り組んでいます。AIシステムの能力が向上するにつれて、AIエージェントが作動する環境のより堅牢なモデルが構築できるようになり、それによってAIエージェントの出力を決定論的または確率論的に保証することが可能になるかもしれません。これは電力網や医療などの重要なアプリケーションにAIを活用する上で、極めて重要な進展となるでしょう。
各プログラムは、アカデミア、産業界、非営利組織など、様々な分野から約12のチームを支援し、これらの目標の達成を目指しています。このように、人材を中心に据えたアプローチによって、従来の枠組みを超えた革新的な研究開発が可能になると考えています。
3.2. 政府のミッション主導型アプローチ
Angela McLean:政府が7月初めに発表した5つのミッションについてお話ししたいと思います。これらのミッションは、社会の改善に向けた政府の取り組みを組織化する重要な枠組みとなっています。具体的には、経済成長、より安全な街づくり、すべての人々への機会提供、2030年までのクリーンエネルギーの実現、そして将来に向けたNHS(国民保健サービス)の整備です。
しかし、私はホワイトホールで働いていない方々に知っていただきたいことがあります。ホワイトホールの自然な快適域は、各省庁内での活動に留まりがちです。確かに完全な縦割りではありませんが、その傾向は強く存在します。このミッション主導型アプローチの目的の一つは、問題解決のために必要な部門の力を結集することにあります。
Lila Ibrahim:その具体的な例を挙げていただけますか?
Angela McLean:例えば、より安全な街づくりミッションでは、AIを活用した犯罪マッピングの改善が提案されています。これは良い取り組みですが、私はこのコミュニティに対して、もっと野心的な提案をしていただきたいと思います。例えば、ある警察署では、地元のスポーツチームが試合に負けた夜、飲酒後に家庭内暴力が発生するリスクが高まることを把握しています。現在は警察官が加害者の帰宅時に自宅で待機するという対応を取っていますが、もっと効果的な解決策があるはずです。
Paul Nurse:しかし、予測モデルの使用には慎重な検討が必要です。バイアスの問題や、どのように活用すべきかについての議論が必要です。
Angela McLean:その通りです。私たちが耳にしている現在のミッション分析は、実行可能で良い内容です。例えば、電力網の負荷分散という困難な問題にも取り組んでいます。しかし、このコミュニティには、それを超えた「さらにこんなことができるのでは」という提案をしていただきたいと思います。私たちは新しいアイデアに対してオープンです。
3.3. クリック研究所の部門廃止と混合型組織構造
Paul Nurse:私たちのクリック研究所では、従来の部門制度を完全に廃止しました。これは大学では実現が難しい改革です。なぜなら、大学では教育のために何らかの部門構造が必要だからです。しかし、研究所では異なるアプローチが可能でした。研究者たちを完全に混在させることで、類似の研究をする人々が隣り合わせになるのではなく、異分野の研究者との偶発的な出会いが促進されます。
Ilan Gur:クリック研究所を訪問した際、その空間設計が印象的でした。Paul、あなたが意図的に設計した空間は、研究者間の偶発的な出会いを促進する素晴らしい例です。私は会議の前に待っている間に、ある研究者と出会い、その方の研究について話を聞く機会がありました。
Paul Nurse:Ilan、一点訂正させてください。すべてを私が設計したわけではありません。しかし、重要なのは組織の構造です。私たちは若手のキャリアグループリーダーには10年から12年の任期を設けていますが、私のような上級研究者にはさらに厳しい評価制度を導入しています。これにより、組織が硬直化するのを防いでいます。
さらに、産業界から学んだ重要な点として、高品質の技術コアを全員で共有するシステムを導入しました。これは大学では予算の制約から実現が難しい取り組みですが、研究所では可能でした。このように、私たちは互いから学び合いながら、それぞれの環境で最適な実践方法を見出しています。
Lila Ibrahim:その組織構造は、チームの勝利には多様な視点が必要だという考えと合致していますね。アイデアを実行に移す際の実践的なアプローチとして興味深い例だと思います。
Paul Nurse:その通りです。さらに付け加えたいのは、社会科学者からの助言を積極的に取り入れていることです。時として科学者は社会科学的なアプローチを軽視しがちですが、それは大きな間違いです。組織運営において、彼らの知見は非常に重要な役割を果たしています。
4. 社会科学との融合
4.1. 社会科学者からの助言の重要性
Paul Nurse:私たちは社会科学者からの助言をもっと積極的に求めるべきです。科学者は時として社会科学的なアプローチを軽視しがちですが、それは大きな間違いです。私たちは科学コミュニティにおいて、異なる分野間の協力を促進し、組織を効果的に運営していくために、社会科学からの知見が必要不可欠です。
Angela McLean:同感です。私の経験からも、社会科学の視点は非常に重要です。例えば、犯罪予測モデルの開発においても、単なる技術的な問題だけでなく、社会的な影響や倫理的な考慮が必要です。バイアスの問題や、そのような予測をどのように活用すべきかについて、社会科学の知見なしには適切な判断ができません。
Ilan Gur:ARIAでも同様の認識を持っています。神経系インターフェースのプログラムを例に挙げると、当初は技術的な介入の最小化を目指していました。しかし、患者の視点からすると、一日中頭にヘルメットを装着することと、1時間の外来処置のどちらが望ましいのかという、より本質的な問いがあることに気づきました。この気づきから、社会科学研究と患者との対話を研究プログラムに組み込むことにしました。
Lila Ibrahim:社会科学者の関与は、組織運営の面でも重要な示唆を与えてくれますね。異なる分野、異なる文化を持つ人々が協力して働く環境をどのように作り上げるか。これは純粋な科学的問題ではなく、社会科学的な問題でもあります。
4.2. AIによる社会科学革新の可能性
Angela McLean:社会科学分野におけるAIの可能性について強調したいと思います。確かに、自然科学の問題にこれらの強力なツールを使用することは魅力的です。しかし、私たちはAIを使って社会科学を完全に革新する方法についても考えるべきです。現在、私たちは人々の位置情報、支出パターン、好みに関する膨大なデータを持っています。
Lila Ibrahim:具体的にはどのような活用方法を考えていますか?
Angela McLean:例えば、昨晩のイラン(Gur)の指摘が印象的でした。私たちは現在、これらの大規模なデータを実際に活用できる可能性を持っています。警察の犯罪予測モデルの例を挙げると、地域のスポーツチームが試合に負けた夜、飲酒後の家庭内暴力のリスクが高まることを予測できます。しかし、このような予測モデルを開発する際には、慎重な議論と倫理的な考慮が必要です。
Ilan Gur:その通りですね。私たちARIAでも、技術的な可能性と社会的影響の両面から検討を重ねています。例えば、私たちの神経系インターフェースプログラムでは、技術的な側面だけでなく、患者の視点や社会的影響について、社会科学的な研究を組み込んでいます。これは、新しい研究方法論の一例と言えるでしょう。
Paul Nurse:ただし、私たちは常にデータの使用方法とその影響について慎重に考える必要があります。社会科学における予測モデルの使用は、自然科学とは異なる複雑な倫理的問題を提起する可能性があります。社会科学者との緊密な協力が不可欠です。
4.3. データ活用による新しい知見
Angela McLean:現在、私たちは人々の行動に関する膨大なデータを持っています。人々がどこにいて、何を消費し、何を好むのかについての詳細な情報です。昨晩の議論で指摘されたように、これらのデータを現在よりもはるかに効果的に活用できる可能性があります。
Ilan Gur:その通りですね。ARIAでは、例えば神経系インターフェースプログラムにおいて、患者の行動データを活用していますが、それと同時に倫理的な考慮も重要視しています。私たちは常に「このデータ活用は本当に患者の利益になるのか」という問いを投げかけています。
Paul Nurse:データの活用には慎重なバランスが必要です。例えば、医療分野では個人のプライバシーを守りながら、いかに有用な知見を引き出すかが重要な課題となっています。科学の発展とプライバシーの保護は、時として相反する目標のように見えますが、両立させなければなりません。
Lila Ibrahim:これは重要な指摘ですね。Google DeepMindでも、データの活用とプライバシーの保護のバランスは常に議論の中心です。特に位置情報データの分析では、個人の行動パターンが明らかになる可能性があるため、匿名化や集計レベルでの分析など、様々な保護措置を講じています。
Angela McLean:そうですね。私たちは政府の立場からも、データ活用の可能性と個人のプライバシー保護のバランスを慎重に検討しています。例えば犯罪予測モデルの開発では、個人を特定できない形でのデータ活用を心がけています。
5. 信頼構築と説明責任
5.1. AlphaFoldの重要性の一般理解
Angela McLean:私たちは、AlphaFoldの重要性をより多くの人々に理解してもらう方法を見出す必要があります。私はこのことを身をもって経験しました。最初のNature論文が出版された夜、当時私は国防省の主席科学顧問を務めていました。上級同僚たちに「この日を覚えておくべきです。これは本当に重要な日です」というメールを送ったのですが、彼らは一様に「それはとても素晴らしいですね。でも何のことかまったくわかりません」と返信してきました。これは高学歴で知的な人々でさえ、この革新的な成果の意義を理解していなかったということを示しています。
Lila Ibrahim:その経験は非常に示唆的ですね。私たちGoogle DeepMindとしても、科学的成果をより広く、より分かりやすく伝える必要性を強く感じています。特にAIが関わる研究成果については、その社会的意義を明確に説明することが重要です。
Paul Nurse:私も同感です。英国の多くの教育を受けた人々でさえ、何が起ころうとしているのか、その可能性について十分理解していないと感じています。これは単なるコミュニケーションの問題ではなく、科学と社会の関係性に関わる根本的な課題です。
Angela McLean:その通りです。AlphaFoldから生まれる多くの有用な応用可能性について、社会科学的な影響も含めて、より包括的に伝えていく必要があります。社会的な懸念が生じる前に、科学的成果の意義と影響について、より効果的なコミュニケーション戦略を確立することが急務です。
5.2. ARIAの公開型開発アプローチ
Ilan Gur:私たちARIAでは、科学技術の最前線を探求することが使命ですが、それは必然的に困難な問題に直面することを意味します。CRISPRに関するJenniferのリーダーシップは、困難な社会的・倫理的問題への取り組み方について、私たちに大きな示唆を与えてくれました。
この経験から、私たちは人材を中心に据えたモデルを採用しています。プログラムディレクターの採用時には、社会への貢献に対する内発的な動機付けと、新しいアイデアに対する柔軟性を重視しています。多くの人々は、私たちがDARPAのように秘密主義的なアプローチを取ると予想していましたが、むしろ逆の選択をしました。
Lila Ibrahim:具体的にはどのような形で透明性を確保しているのですか?
Ilan Gur:各プログラムの仮説は、最初の草案の段階から公開しています。これにより、科学的な実現可能性から社会的・倫理的な側面まで、幅広い視点からフィードバックを得ることができます。例えば、神経系インターフェースプログラムでは、当初は低侵襲な技術開発に焦点を当てていました。しかし、患者データが不足していることが分かり、興味深い問題が浮かび上がりました。患者にとって、終日ヘルメットを着用することと、1時間の外来処置のどちらが望ましいのか。これは技術的な問題を超えた、重要な問いです。
その結果、プログラムの一環として社会科学研究と患者との対話を組み込むことにしました。このように、公開型の開発アプローチにより、研究の方向性をより適切に調整することができています。
Paul Nurse:このような透明性のある開発プロセスは、科学と社会の信頼関係を構築する上で非常に重要ですね。特に、倫理的な配慮が必要な研究分野では、早い段階からの対話が不可欠です。
5.3. 一般市民との対話の必要性
Paul Nurse:私たちは、一般市民とどのように対話するかについて真剣に考える必要があります。専門家だけでなく、NGOだけでもなく、本当の意味での一般市民との対話です。この点で、GM作物の導入時の混乱から学ぶべき教訓があります。GM作物を導入しようとした人々は、一般市民との適切な対話を行っていませんでした。
私は王立協会で、熟議民主主義の実験的な取り組みに関わりました。街頭で一般市民に声をかけ、問題について説明し、フィードバックを得るという試みでした。興味深かったのは、GM作物を受け入れない主な理由として、「遺伝子の入った食品を食べたくない」という回答が得られたことです。科学者には思いもよらない反応でしたが、これこそが市民の本当の懸念だったのです。しかし、誰もこの懸念に対処していませんでした。
Lila Ibrahim:その経験は人工知能の分野にも重要な示唆を与えてくれますね。
Paul Nurse:その通りです。人工知能とその周辺技術についても、まず一般市民に出向いて、現時点で何を考えているのか、何を懸念しているのかを聞く必要があります。そして、それに基づいて私たちのコミュニケーション方法を考えなければなりません。そうしなければ、意見を持っている人々や特定の主張をしたい人々の声だけが響き、一般市民との真の対話は実現しないでしょう。
Angela McLean:同感です。私たちは科学的な真実を追求するだけでなく、その意義を社会に伝え、理解を得る努力も必要です。しかし、それは一方的な啓蒙ではなく、市民の懸念や視点を真摯に受け止める双方向のコミュニケーションでなければなりません。
6. 今後の展望と協働
6.1. 科学的手法の価値の再確認
Angela McLean:私たちは今、科学のための同盟を結ぶべき重要な時期にいると考えています。すべての真実が同じ価値を持つわけではありません。一部の真実は他のものよりも有用です。私たちは科学コミュニティとして団結し、最も大きな声を上げる人の主張が必ずしも最も価値のある真実とは限らないということを、明確に示していく必要があります。
Paul Nurse:その通りです。科学は活動であり、真実の追求です。それは証拠、データ、そして理性的な議論に基づいています。この基本的な科学的手法がいかに私たちを発展させてきたか、私たちは決して忘れてはいけません。特に今後しばらくは困難な時期になるかもしれませんが、科学的手法の価値を再確認することが重要です。
Lila Ibrahim:科学コミュニティの団結という点について、私たちGoogle DeepMindもその重要性を強く認識しています。特にAIの発展が加速する中で、エビデンスに基づく意思決定の重要性はますます高まっています。
Angela McLean:はい、科学的手法こそが私たちを今日まで導いてきました。現在、私たちは暫くの間、困難な時期に直面するかもしれませんが、この基本的な原則を忘れずに、科学コミュニティとして結束を強めていく必要があります。科学は単なる知識の集積ではなく、真実を追求するプロセスそのものであることを、社会に対して示していかなければなりません。
6.2. 科学起業家精神の重要性
Ilan Gur:ARIAのマンデートは、単に興味深い科学を追求することだけでなく、その技術的なブレークスルーがイギリスの未来に抜本的な利益をもたらすことを確実にすることです。そこで私たちは、「研究のブレークスルーがどのように世界に広がっていくのか」という問いに直面しました。私たちの仮説は、その最大の原動力は、インパクトを実現したいと考える人々だということです。そのため、科学起業家精神に大きな関心を寄せています。
Lila Ibrahim:具体的にはどのような取り組みをされているのでしょうか?
Ilan Gur:私たちは「アクティベーションパートナー」と呼ぶパートナーシップを構築しました。これは、政府の資金提供機関である私たちとは異なる、商業化や起業家精神の分野で活動する外部の人々との協力関係です。これらのパートナーは、すべてのプログラム分野において、才能、スキル、リソースを提供することで、研究の影響力を高めることができます。例えば、Google DeepMindもアクティベーションパートナーの一つとして、AIの商業的専門知識を活用して、私たちの活動全体の影響力を高めることに協力していただいています。
Paul Nurse:この取り組みは非常に興味深いですね。大学、研究所、企業など、それぞれの組織が持つ異なる強みを組み合わせることで、より大きなインパクトを生み出すことができます。重要なのは、それぞれの組織の文化や目的の違いを理解し、尊重しながら協力することです。
6.3. 生物学データの新しい分析手法の必要性
Paul Nurse:私は生物学者として、生命とは何かを理解することを中心的な使命としています。私たちは前のパネルでも議論されたように、細胞の働きを理解することで、その答えに近づけると考えています。生物学は化学、物理学、そして情報の原理に基づいていますが、現在、これらを統合する段階に来ています。
しかし、現在の課題は、生物学が生成するデータの性質にあります。私たち生物学者が生成するデータは、大規模言語モデルなどで扱われるデータとは異なり、小規模で、非構造化で、相互に関連性の低いものです。これらのデータを適切に分析し、より広い理解へと導くための方法論がまだ確立されていません。
Lila Ibrahim:その課題に対して、AIはどのような役割を果たせると考えられますか?
Paul Nurse:私たちは、人工知能の考え方や方法論を発展させ、私のような分子生物学者が生成する小規模で複雑なデータを適切に分析できるようにする必要があります。大規模データに対して効果を発揮している現在のAI手法を、生物学特有のデータ分析の課題に適応させる新しいアプローチが必要です。情報科学者と分子生物学者が協力することで、より包括的な理解が得られる可能性があります。
Angela McLean:その点について、分野横断的な協力の重要性を強調したいと思います。生物学データの特殊性を理解しつつ、AIの可能性を最大限に活用する方法を見出すには、異なる専門性を持つ研究者間の緊密な協力が不可欠です。