※本記事は、Google DeepMindとRoyal Societyが主催した「AI for Science Forum」のパネルディスカッション「Building Scientific Infrastructure for Success」の内容を基に作成されています。 本記事では、パネルディスカッションの内容を要約しております。AIによる科学的発見の新時代に向けた議論の詳細は、Google DeepMindの公式サイト(https://deepmind.google/about/ )でご覧いただけます。なお、本記事の内容は登壇者の見解を正確に反映するよう努めていますが、要約や解釈による誤りがある可能性もありますので、正確な情報や文脈については、オリジナルの動画をご視聴いただくことをお勧めいたします。
1. 科学インフラストラクチャー構築の社会的視点
1.1. パネルディスカッションの概要と目的
パネルディスカッションは、Paul Hofheinzの司会のもと、グローバルな科学インフラストラクチャーの未来について議論するために開催されました。パネリストには、University of California, Mercedの土壌生物地球化学教授であるAsmeret Asefaw Berhe氏、ナイジェリア連邦共和国の通信・イノベーション・デジタル経済大臣のBosun Tijani氏、および計算生物学研究所所長でTUM Mathematics & Life Sciences教授のFabian J. Theis氏が参加しました。
Hofheinzは冒頭で、John Donneの「No man is an island(人は孤島にあらず)」という言葉を引用し、現代の科学における協働の重要性を強調しました。特に、Google DeepMindの最近のノーベル賞受賞を例に挙げ、この成果が単なる一企業の成果ではなく、European Molecular Biology Laboratoryなど、多くの組織との協力によって実現したことを指摘しました。
この導入を通じて、科学の未来が単なる実験室での発見以上のものであることが強調されました。具体的には、インフラストラクチャーの構築、プログラムの実施、コミュニティの形成、成果の社会への還元、そして適切な規制の整備など、社会全体を巻き込む取り組みの重要性が提起されました。Hillary Clintonの著書「It Takes a Village(村全体で子どもを育てる)」を引用しながら、科学的発見を推進し、その恩恵を公平に共有できる「村」をいかに作り上げるかという問いが、パネルディスカッションの中心的なテーマとして設定されました。
このパネルディスカッションは、科学技術の発展が社会全体の協力と理解を必要とする複雑な営みであることを認識し、そのための具体的な方策を探ることを目的として開催されました。
1.2. 科学インフラストラクチャーの社会的側面の重要性
Hofheinz:科学インフラストラクチャーの構築において、我々は実験室の中だけでなく、その外側で何が起きているかにも注目する必要があります。インフラストラクチャーの構築、プログラムの実施、コミュニティの形成、そして成果の社会への還元と規制の整備、これらすべてを包含する社会全体の動きが重要なのです。
Berhe:私たちは今、AIと科学技術の進歩における重要な転換点にいます。過去の過ちを繰り返さないために、デジタルデバイドをさらに拡大させることなく、人類社会の特定のセグメントを置き去りにしないようにする必要があります。これには人材開発の観点からの取り組みが不可欠です。
Tijani:私はBerhe教授の意見に賛同します。さらに付け加えれば、単にテクノロジーのユーザーを育成するだけでなく、ツールを作り出す能力を広く共有することが重要です。教育の機会と発見への道筋をできる限り多くの人々と共有する方法を考える必要があります。
Theis:私の視点からは、科学インフラの社会的側面において、人材の問題が特に重要です。ヘルムホルツでの経験から、AIを民主化するというミッションには、単なるツールの提供以上のものが必要です。既存の学問分野の専門家たちが、AIを神秘的なものではなく、実用的なツールとして受け入れられるような環境作りが必要なのです。
Berhe:そして忘れてはならないのが、これらの技術の持続可能性です。AIや大規模計算システムのエネルギー需要と資源需要は、私たちが直面している最も重要な課題の一つです。地球環境や持続可能性の専門家だけでなく、すべての関係者がこの効率性について真剣に考える必要があります。
Hofheinz:まさにその通りです。これらの課題に対して、いかにして公平で、効率的で、持続可能な「村」を作り上げていくか。これこそが、私たちが取り組むべき本質的な課題なのです。
2. グローバルな科学インフラの現状
2.1. データ施設とアクセシビリティの課題
Berhe:現在、AIと科学技術の進歩は前例のないペースで進んでいます。しかし、この急速な発展に伴い、特定の社会セグメントが取り残されるリスクが高まっています。デジタルデバイドは、新しいAIイノベーションによってさらに拡大する可能性があります。
Tijani:私もBerhe教授の懸念に同意します。特にグローバルサウスにおいて、この問題は深刻です。科学技術の世界ランキングと経済発展を比較すると、明確な相関関係が見られます。しかし、グローバルサウスでは、直面する課題に対して科学的なアプローチが十分に適用されていないのが現状です。
Berhe:重要なのは、単にリソースやツールへのアクセスを提供するだけでなく、それらを創造する能力を共有することです。現在のインフラは、一部の地域や機関に集中しており、多くの潜在的な研究者や利用者が適切なアクセスを得られていません。
Theis:データアクセスの問題について付け加えると、我々のような研究機関でさえ、必要なデータへのアクセスに苦心することがあります。特に、時系列データや摂動データは、多くの場合、孤立した場所に散在しています。データの統合と標準化は、現在の科学インフラにおける重要な課題の一つです。
Hofheinz:つまり、現在の科学インフラは、技術的な課題だけでなく、社会的な不平等も生み出しているということですね。この状況を改善するために、具体的にどのような取り組みが必要だとお考えでしょうか?
Berhe:私たちは、単なるインフラの整備だけでなく、その利用方法や管理方法についても考える必要があります。特に、データの品質管理、プライバシーの保護、そして利用の公平性を確保する仕組みが重要です。また、現地のニーズや文脈を理解した上でのインフラ開発が不可欠です。
2.2. 高性能データ施設(HPDF)プロジェクトの実例
Berhe:高性能データ施設(HPDF)は、私たちが過去1年間で立ち上げた重要なプロジェクトの一つです。このプロジェクトは、科学局の国立科学ユーザー施設が世界で最も多くの科学データを生成しているという認識から始まりました。これらの施設から生成される大量のデータを効果的に管理し、活用する必要性がありました。
Hofheinz:その具体的な規模と、データの種類についてもう少し詳しく説明していただけますか?
Berhe:もちろんです。私たちの施設では、粒子加速器、光源、ゲノム施設、化学施設、材料科学施設など、様々な分野の施設からデータが生成されています。このプロジェクトの革新的な点は、これらの膨大なデータを効率的に移動させ、リアルタイムのAI応用や他の計算応用に活用できるようにすることです。
Theis:それは興味深いプロジェクトですね。私たちの研究分野でも、大規模なデータセットの管理と活用は重要な課題です。このHPDFは、データの民主化にどのように貢献しているのでしょうか?
Berhe:連邦政府が資金提供する研究は既にオープンアクセスですが、HPDFはそれをさらに一歩進めています。より多くの人々がデータにアクセスできるようにするだけでなく、高性能計算施設への効率的なデータ転送も実現しています。これにより、AIやその他の計算処理に必要なデータを、より多くの研究者が利用できるようになっています。
Tijani:グローバルサウスの視点から見ると、このような施設へのアクセスは非常に重要です。このプロジェクトは、データの言語やフォーマットの標準化についてはどのように対応していますか?
Berhe:データの整合性とプライバシーの保護を維持しながら、誰もが理解し使用できる形式でデータを提供することを重視しています。これは大きな課題ですが、グローバルな科学コミュニティの発展には不可欠な取り組みだと考えています。
2.3. AIの持続可能性に関する課題と目標
Berhe:私たちが直面しているAIの課題で最も重要なのは、大規模計算システムのエネルギー需要と資源需要です。確かにAI企業は再生可能エネルギーへの投資を積極的に行っており、化石燃料からの移行を加速させていますが、それだけでは十分ではありません。より多くの人々がこれらの技術にアクセスするようになれば、当然エネルギー消費も増加します。
Hofheinz:その問題に対して、具体的にどのような対策を講じているのでしょうか?
Berhe:私が以前リードしていたプロジェクトの一つで、エクサスケールコンピューティングプロジェクトがあります。10年以上前に開始したこのプロジェクトでは、米国のエクサスケール時代を切り開くにあたって、明確な持続可能性目標を設定しました。当時、多くの人々はこの目標を政治的な理由で設定された非現実的なものだと考えていました。しかし、結果として私たちはその目標を達成することができました。
Theis:計算能力の需要が増加し続ける中で、それは素晴らしい成果ですね。私たちの研究分野でも、効率性の向上は重要な課題となっています。具体的な数値目標はどのように設定されたのでしょうか?
Berhe:重要なのは、単に小規模な再生可能エネルギーの導入や持続可能性の漸進的な向上ではなく、システムの設計や使用方法において本質的な変革を行うことです。私たちは、可能と思われる限界を超えるような野心的な目標を設定し、それに向けて技術開発を進めました。
Tijani:グローバルサウスの視点からすると、エネルギー効率は特に重要な問題です。これらの成果は、新興国でのAIインフラ構築にどのように活かせるでしょうか?
Berhe:持続可能性の目標は、グローバルに展開可能なものでなければなりません。新しいインフラを構築する際には、最初から高い効率性と持続可能性を組み込むことが重要です。エクサスケールプロジェクトでの経験は、そのような野心的な目標が実際に達成可能であることを示しています。
3. グローバルサウスにおけるAI開発
3.1. ナイジェリアの事例:人口構造と機会
Tijani:ナイジェリアの通信・イノベーション・デジタル経済大臣として、世界の科学ランキングと経済発展の間には明確な相関関係があることを日々実感しています。しかし、グローバルサウスでは、私たちが直面する多くの課題に対して科学的なアプローチが十分に活用されていないのが現状です。
Hofheinz:その具体的な課題について、もう少し詳しく説明していただけますか?
Tijani:はい。例えば、ナイジェリアの平均年齢は16.9歳で、毎年500万人の人口が増加しています。2050年には人口が5億人に達すると予測されています。これは単なる統計ではなく、大きな機会と課題を同時に示しています。
Berhe:その人口動態は、将来の労働力という観点から非常に興味深いですね。どのようにしてこの若い人材を活用していく計画でしょうか?
Tijani:私たちが直面している問題は、高次元的な問題です。例えば、教育の質を向上させる方法は、イギリスの成功事例をそのまま適用できるものではありません。年間500万人の人口増加がある中で、なかには行政サービスが十分に届かない地域もあります。そのため、これまでの解決策とは異なる、新しいアプローチが必要です。
Theis:そのような急速な人口増加に対して、インフラストラクチャーはどのように対応していくのでしょうか?
Tijani:私たちは、AIがこれらの課題に対する新しい洞察を提供し、政府の問題解決能力を向上させる可能性を秘めていると考えています。ただし、現状ではAIの開発自体が高度にスキル化されており、各国が長年の投資を行ってきた分野です。私たちの課題は、必要な投資が十分でない中で、いかにしてAIを活用した開発を加速させるかということです。
3.2. AIデータセットにおける包括性の課題
Tijani:グローバルサウスにおけるAIの発展を考える上で、私は3つの重要な課題に直面しています。第一に、AIデータセットにおける包括性の問題です。例えば、インドの農家のケースのような素晴らしい機会があっても、ナイジェリアやガーナ、ルワンダの現実を十分に反映したデータセットが不足していれば、AIはこれらの国々の問題解決に効果的に貢献することができません。
Berhe:その点について、医療分野での教訓が参考になりますね。バイアスのあるデータセットに基づいて構築された知識基盤が、どれほど深刻な問題を引き起こす可能性があるか、私たちは既に学んでいます。
Tijani:その通りです。第二の課題として、データの主権性の問題があります。各国がデータを自国内に保持したいという要求が高まっており、これがAIの強化に必要なデータの共有を制限する可能性があります。また、地域の科学者たちが必要なインフラにアクセスできないことで、文脈に基づいた研究活動が制限されています。
Theis:それは深刻な問題ですね。私たちの研究でも、データの統合と標準化は重要な課題です。グローバルサウスの「ダークデータ」の活用について、具体的な計画はありますか?
Tijani:第三の課題として、私たちが持つ多くの知識がAIが利用可能な形式でコード化されていないという問題があります。グローバルサウスの国々に関する大量の「ダークデータ」を、AIが活用できる形式にデジタル化する賢明な方法を見つける必要があります。これらのデータは、より良いモデルを構築し、私たちが直面する課題への解決策を見出すために不可欠です。
Hofheinz:これらの課題に対して、具体的にどのような解決策を検討されていますか?
Tijani:私たちは、データのデジタル化とAIモデルの改善を同時に進める必要があります。また、グローバルな協力を通じて、データの共有と保護のバランスを取りながら、より包括的なデータセットの構築を目指しています。
3.3. 国家AI戦略の策定プロセス
Tijani:私たちはナイジェリアのAI戦略策定において、ユニークなアプローチを採用しました。私たちは、世界中に散らばるナイジェリア人AIの専門家を特定するため、AIモデルを活用しました。過去30年間のAI関連の出版物を分析し、名前ライブラリを使用して、ナイジェリア人研究者を高精度で特定することに成功しました。
Hofheinz:その取り組みは興味深いですね。具体的にどのように進められたのでしょうか?
Tijani:私たちは約100人の海外在住のナイジェリア人AI研究者をアブジャに招集し、国内の市民社会関係者や研究者とともに、1週間かけて国家AI戦略の基礎を構築しました。このアプローチにより、グローバルな視点と現地のニーズを組み合わせることができました。
Berhe:ディアスポラコミュニティの知識を活用する素晴らしいアプローチですね。市民社会の参加はどのように確保されましたか?
Tijani:私たちは現在、「AIトラスト」という枠組みを構築しています。これは、国内のAI開発を支援できる信頼できる関係者のコミュニティを作り、政府の能力だけに依存しない体制を目指すものです。グローバルサウス諸国では、多くの場合、政府がAIの発展に追いつくのに苦心していますが、欧州のように学術機関が社会のAIの方向性を示すような状況にはまだありません。
Theis:その点は欧州の経験が参考になるかもしれません。私たちの経験では、産学連携が重要な役割を果たしています。
Tijani:はい、その通りです。まだ理想的な形には達していませんが、このような対話や包摂的な取り組みを通じて、着実に前進しています。重要なのは、これが単なる戦略文書の作成ではなく、実際の実装を見据えた持続可能な体制づくりだということです。
3.4. 人材育成イニシアチブ(300万人育成計画)
Tijani:私が大臣に就任してから最初に着手したのが、技術人材育成加速プログラムです。現在、世界最大規模の技術人材育成プログラムを展開しており、政府も大きな投資を行っています。特に人工知能の分野では、Googleが私たちの取り組みを支援してくれており、地域の企業からも投資を受けています。
Hofheinz:300万人という規模は非常に野心的ですね。具体的にどのような戦略をお持ちですか?
Tijani:人材育成の基本的な考え方として、技術の応用には適切な労働力の確保が不可欠です。私たちの目標は、育成した人材の約50%を国内に残し、残りの50%を輸出することです。これは、世界的な技術人材の不足に対する一つの解決策になると考えています。
Berhe:その戦略は興味深いですね。特に、人材の国内定着と国際展開のバランスをどのように取る予定でしょうか?
Tijani:たとえば、ドイツの首相が最近ナイジェリアを訪問し、ドイツにおける大規模な人材不足について言及しました。このような状況は、私たちにとって機会となります。インドの事例は、この戦略の有効性を示す良いモデルです。300万人を育成し、その半数を国内の経済発展のために活用し、残りを世界市場に送り出すことで、win-winの関係を構築できると考えています。
Theis:欧州の視点から見ても、この取り組みは非常に重要です。質の高い技術教育をどのように確保していく予定ですか?
Tijani:私たちは、国際的な企業や教育機関との協力を通じて、グローバル水準の教育プログラムを提供することを目指しています。同時に、現地のニーズに応じたカリキュラムの開発も進めています。これは単なる人材育成プログラムではなく、ナイジェリアの将来の経済成長を支える重要な戦略的取り組みなのです。
4. 欧州における科学インフラの発展
4.1. Human Cell Atlasプロジェクトの概要
Theis:私たちのHuman Cell Atlasプロジェクトは、科学的好奇心に導かれた取り組みです。このプロジェクトは、AI、データ、計算能力という3つの要素を組み合わせて細胞生物学の新しい時代を切り開こうとしています。コンピュータビジョンの分野では10年前にImageNetによって実現されましたが、今私たちは細胞生物学の分野で同様の革新を目指しています。
Hofheinz:より具体的に、どのようなアプローチを取られているのでしょうか?
Theis:Human Cell Atlasの特徴的な点は、世界中からデータセットを収集し、それらを一つの大きな表現モデルに統合するという非常に包括的なアプローチを採用していることです。これは単なるデータベースの構築以上の取り組みです。データセット間の変動を削減し、統合するためのアルゴリズミックな側面も重要です。
Berhe:そのような大規模なデータ統合において、データの質の確保はどのように行われているのでしょうか?
Theis:生物学の分野では、幸いなことに遺伝子は通常同じ名前で呼ばれているため、他の分野と比べてデータセットの統合がやや容易です。しかし、自己教師あり学習やデータ統合、マルチスケールモデリングなど、計算生物学のコミュニティが長年取り組んできた課題があります。現在、データとモデルの両面で、これらの課題に取り組むための準備が整ってきたと感じています。
Tijani:グローバルサウスの研究機関との協力については、どのようにお考えでしょうか?
Theis:このモデルは、世界中の研究者に知識を提供し、それぞれの研究をさらに発展させる基盤となることを目指しています。私たちは、このプロジェクトが真の意味でのグローバルな科学協力の模範となることを期待しています。
4.2. Deepcellプロジェクトの目標と展望
Theis:Deepcellプロジェクトの目標は、単なる細胞の定常状態のコンピュータ表現を超えて、時間的な変化と摂動応答を含む包括的なモデルを構築することです。これは抽象的に聞こえるかもしれませんが、物理学を例に考えると分かりやすいでしょう。
Hofheinz:物理学との関連について、もう少し具体的に説明していただけますか?
Theis:例えば、物理学では、ボールを投げた時の軌道を計算できます。これは運動の法則があるからです。構造生物学でも同様の原理が発見されていますが、細胞生物学ではまだそのような基本方程式が確立されていません。Deepcellでは、データから細胞生物学の基本法則を発見することを目指しています。
Berhe:それは非常に野心的なプロジェクトですね。具体的にどのようなアプローチを取られているのでしょうか?
Theis:私たちは、複数のオミクスレベルのデータを統合し、細胞を組織の文脈の中で理解するために画像ベースの観察も組み合わせています。これまで別々に扱われてきた分野を一つの大きなデータ構造に統合することで、実験パートナーの次の実験計画を支援できるようになります。さらに、計算病理学者や臨床データを扱う研究者と協力して、組織の構造や組織化が診断にどのように影響するかを理解し、最終的には細胞を健康な状態に戻すための摂動方法の開発を目指しています。
Tijani:このような統合的なアプローチは、グローバルサウスの医療システムにも応用できる可能性がありそうですね。
Theis:その通りです。このモデルは、基礎研究だけでなく、臨床応用も視野に入れています。特に、データが限られた環境でも活用できるような、効率的なモデルの開発を重視しています。
4.3. データ統合とアルゴリズム開発の課題
Theis:私たちの分野では、AIの成功を支える「三位一体」として、データ、計算能力、そしてアルゴリズムの側面があります。これらの要素が適切に組み合わさってこそ、真のブレークスルーが生まれます。コンピュータビジョンの分野では10年前にImageNetによってこれが実現されましたが、現在私たちは新しい基盤モデルの時代を迎えようとしています。
Hofheinz:その三要素の統合において、具体的にどのような課題がありますか?
Theis:大きな課題の一つは、時系列データや摂動データが多くの場合、孤立した場所に存在していることです。これらのデータセットを一つにまとめ、共通のベンチマークとメトリクスを確立する必要があります。私たちはNeurIPSで過去4年間にわたってデータサイエンスコンペティションを開催し、コミュニティにこれらの課題に取り組んでもらっています。
Berhe:そのようなコンペティションは、グローバルな人材育成にも貢献していそうですね。
Theis:その通りです。これらのコンペティションは、世界中の若い人材が参加できる機会を提供し、実力を示すことができる場となっています。次のステップとして、これらのメトリクスをさらに拡張し、より多くのデータセットを組み込み、コンペティションへの注目度を高めていく必要があります。
Tijani:グローバルサウスの研究者たちにとって、計算リソースへのアクセスは依然として課題です。この点についてはどのようにお考えですか?
Theis:その点は重要な指摘です。私たちはヘルムホルツでも、必ずしも全ての研究者が自前のGPUクラスタを持っているわけではありません。そのため、産学連携を通じて計算リソースへのアクセスを確保し、より公平な研究環境の整備を進めています。
5. グローバルな協力体制の構築
5.1. データ収集と共有における公平性
Berhe:資源の問題について、私たちは現実を直視する必要があります。天才は世界中に存在しますが、リソースと機会への公平なアクセスは実現されていません。これは単なる倫理的な問題ではなく、科学の発展にとって重大な制約となっています。
Tijani:その通りです。特に健康分野では、偏ったデータセットに基づく知識が深刻な問題を引き起こす可能性があることを、私たちは既に学んでいます。ナイジェリアの経験から言えば、北から南まで単にデータを抽出するのではなく、現地の文脈を理解し、そこで働く人々の能力を開発することが重要です。
Hofheinz:具体的にどのような解決策をお考えですか?
Berhe:私たちはグローバルサウスから継続的にデータを抽出するだけでなく、現地の人材育成に実質的な投資を行う必要があります。これは農業、食料生産、健康関連の課題、気候変動への対応など、あらゆる分野に当てはまります。
Theis:ヨーロッパの視点からも、データの公平性は重要な課題です。私たちのプロジェクトでは、データ共有のインフラを構築する際に、特に発展途上地域からのアクセスのしやすさを考慮しています。
Tijani:そして重要なのは、データの収集と分析に関する意思決定の過程に、現地のコミュニティを参加させることです。私たちは、植民地時代のような一方的なデータ収集モデルを繰り返してはなりません。代わりに、互恵的な協力関係を構築し、現地の研究能力の向上に投資する必要があります。
Berhe:その点で、私は特に若い研究者たちへの投資が重要だと考えています。彼らは現地の文脈を理解し、同時に最新の技術にも精通しています。この世代を支援することで、より公平で効果的なグローバル科学コミュニティを構築できるでしょう。
5.2. グローバルサウスにおける政府能力開発の重要性
Tijani:グローバルサウスにおける重要な課題の一つは、政府のAI理解を促進することです。欧州と異なり、私たちの国々では学術機関が社会のAIの方向性を示すような状況にはありません。政府がAIの発展に追いつくのに苦心している状況で、これは特に重要な課題となっています。
Theis:それは興味深い指摘ですね。欧州では、政府の理解が不十分な場合でも、学術機関が方向性を示すことができます。グローバルサウスではそのような構造が異なるということですか?
Tijani:はい、その通りです。私たちの場合、政府の能力開発は避けて通れない課題です。ナイジェリアでは、AIトラストという枠組みを構築し、政府の能力だけに依存しない体制を目指しています。しかし、それでもなお、政府のAI理解促進は重要な優先事項です。
Berhe:この点について、私も同意見です。グローバルサウスでは、政府とアカデミアの関係を再構築する必要があります。単に知識を移転するだけでなく、持続可能な能力開発の仕組みを作る必要があります。
Tijani:私たちは、対話や包摂的な取り組みを通じて、少しずつ前進しています。重要なのは、これが単なる形式的な能力開発ではなく、実際の実装を見据えた持続可能な体制づくりだということです。政府職員がAIの可能性と限界を理解し、適切な政策決定ができるようになることが重要です。
Hofheinz:その取り組みにおいて、国際協力はどのような役割を果たせるでしょうか?
Tijani:国際協力は重要ですが、それは従来型の援助モデルではなく、互恵的な学習と能力開発のパートナーシップである必要があります。政府職員が実践的な経験を積み、AIの実際の応用を理解できるような機会を作ることが重要です。
5.3. 欧州のAI民主化への取り組み
Theis:ヘルムホルツでは、AIへのアクセスを民主化することをミッションとして掲げています。我々は、既存の学問分野の専門家たちが持つ豊富なデータと知識を活かしながら、AIをより身近なツールとして活用できるよう支援しています。このアプローチは5、6年前から始まり、着実な成果を上げています。
Hofheinz:具体的にどのような方法で実施されているのでしょうか?
Theis:私たちの特徴的なアプローチは、研究チームとコンサルティング、教育活動を組み合わせていることです。研究者たちが実験室に入り、ツールの使用方法を直接指導し、研究の加速を支援しています。既存の素晴らしいデータと優秀な人材を活かしながら、AIの活用を促進するという方法です。
Berhe:その取り組みは、特に発展途上国の研究機関にとって参考になりそうですね。データの共有や活用において、具体的にどのような成果が出ているのでしょうか?
Theis:以前は医療分野などで見られた縦割り的な壁が、今では急速に崩れつつあります。これは、AIという共通言語を通じて、異なる分野の専門家が協力できるようになったためです。しかし、このような変化を実現するには、単なる技術的なサポート以上のものが必要です。研究者たちがAIを神秘的なものではなく、実用的なツールとして受け入れられるような環境作りが重要なのです。
Tijani:その経験は、グローバルサウスでのAI導入にも活かせそうです。特に、既存の専門知識とAIをどのように組み合わせていくかという点で、参考になります。
Theis:その通りです。重要なのは、AIの民主化が単なるツールの提供以上のものであるということです。それは、組織文化の変革であり、新しい協力の形を作り出すプロセスなのです。
6. 今後の課題と機会
6.1. データセットの多様性確保
Tijani:データセットの多様性は、AIの公平な発展にとって不可欠な要素です。私たちの経験から、ナイジェリアやガーナ、ルワンダなどの現実を反映したデータが不足していることが、AIの効果的な活用を妨げる大きな要因となっています。
Berhe:その通りです。医療分野での教訓を考えると、偏ったデータセットに基づいて構築された知識基盤が、いかに深刻な問題を引き起こす可能性があるかが分かります。私たちは現地の文脈を理解し、それを反映したデータ収集の仕組みを構築する必要があります。
Theis:データの品質管理も重要な課題ですね。私たちのHuman Cell Atlasプロジェクトでは、異なる地域や機関から収集されたデータの整合性を確保するために、厳密な品質管理プロセスを導入しています。
Tijani:もう一つの課題は、既存の知識のデジタル化です。グローバルサウスには大量の「ダークデータ」が存在しており、これらをAIが活用できる形式に変換する必要があります。しかし、その過程で現地のコンテキストや微妙なニュアンスが失われないよう注意を払う必要があります。
Hofheinz:その課題に対して、具体的にどのような解決策を考えていますか?
Berhe:私たちは、データ収集とキュレーションのプロセスに現地のコミュニティを積極的に参加させることを提案しています。これにより、データの品質を確保しながら、現地の文脈や知識を適切に反映することができます。また、この過程で現地の研究能力も向上させることができます。
Theis:それに加えて、データの標準化と相互運用性も重要です。異なる地域や機関が収集したデータを効果的に統合し、活用できるようにするためのフレームワークが必要です。
6.2. インフラ投資モデルの再考
Tijani:グローバルサウスをAIの文脈で単なる慈善事業として見るべきではありません。2050年に5億人の人口を抱えることになるナイジェリアのような国を除外したAIを構築することは、ビジネス的にも理にかなっていません。現在、私たちは90,000キロメートルの光ファイバーケーブル敷設に20億ドルを投資しています。
Hofheinz:その投資規模は印象的ですね。具体的にどのような投資回収モデルを考えていますか?
Tijani:私たちは、政府がインフラ投資のリソースを持っていない場合の新しいモデルを検討しています。例えば、国のデータセットを文書化し、そのデータを活用した収益化戦略を通じて、AIインフラ開発のための資金を調達するというアプローチです。これは、信頼できる組織を通じて管理される必要があります。
Berhe:そのアプローチは興味深いですね。しかし、データの主権性とプライバシーの保護についてはどのようにお考えですか?
Tijani:これらの国々は、以前よりもはるかに高度に接続されており、多くの場合、グローバルノースよりも意味のある形でコネクティビティを活用しています。私たちの目標は、単にデータを提供するだけでなく、現地でAIを開発・活用する能力を構築することです。
Theis:その視点は重要ですね。ヨーロッパの経験からも、データの価値化と現地の能力開発を両立させることの重要性を感じています。
Tijani:そうです。我々は、グローバルサウスのAI開発を慈善事業としてではなく、明確なビジネス機会として位置づけ直す必要があります。これは、技術が人々の考え方、日常業務、仕事の方法に影響を与える世界において、分断を避けるために不可欠なアプローチです。
6.3. 持続可能な科学インフラの構築
Berhe:AIや大規模計算システムの増加に伴うエネルギー需要は、私たちが直面している最も重要な課題の一つです。単に再生可能エネルギーへの投資を増やすだけでは不十分です。システムの設計や使用方法において、根本的な変革が必要です。
Tijani:その通りです。ナイジェリアのような発展途上国では、インフラの持続可能性は特に重要です。私たちは現在、90,000キロメートルの光ファイバーケーブル網の構築を進めていますが、これを長期的に維持・管理していくための戦略も同時に考える必要があります。
Hofheinz:具体的にどのような維持管理の方策をお考えですか?
Berhe:エクサスケールコンピューティングプロジェクトの経験から、野心的な持続可能性目標は達成可能だということが分かっています。重要なのは、初期の設計段階から持続可能性を考慮に入れることです。また、リソースの公平な分配も重要な要素です。
Theis:欧州の視点から付け加えると、持続可能なインフラ構築には、技術的な側面だけでなく、組織的な持続可能性も重要です。私たちのヘルムホルツでの経験では、知識の継承と人材育成の仕組みづくりが不可欠でした。
Berhe:さらに、インフラの効率性を継続的に改善していく必要があります。これは単なるエネルギー効率の問題ではなく、システム全体の最適化を意味します。私たちの研究施設では、データの生成から保存、処理、共有に至るまで、すべての段階で効率化を追求しています。
Tijani:そして、これらのインフラが真に持続可能であるためには、現地のニーズと能力に適合したものである必要があります。グローバルノースのモデルをそのまま適用するのではなく、各地域の特性を考慮したアプローチが必要です。