※本記事は、カリフォルニア大学アーバイン校 デジタルトランスフォーメーションセンター主催のDigital Leadership Agenda 2025における講演「AIと世界経済(AI and the Global Economy)」の内容を基に作成されています。本講演では、PIMCO チーフエコノミストのTiffany Wilding氏とデジタルトランスフォーメーションセンター所長のVijay Gurbaxani氏による対談が行われました。
本記事では、講演の内容を要約しております。なお、本記事の内容は登壇者の見解を正確に反映するよう努めていますが、要約や解釈による誤りがある可能性もありますので、正確な情報や文脈については、オリジナルの講演映像をご覧いただくことをお勧めいたします。
登壇者プロフィール:
Tiffany Wilding(ティファニー・ワイルディング) PIMCOのチーフエコノミスト。マクロ経済トレンドの分析と予測を担当。四半期ごとのサイクリカルフォーラムと年次セキュラーフォーラムを主導し、ポートフォリオマネージャーへの経済見通しの提供を行う。AIを活用した経済予測モデルの開発にも携わり、OpenAIとの4年間のパートナーシップを推進。
Vijay Gurbaxani(ヴィジャイ・グルバクサーニ):モデレーター カリフォルニア大学アーバイン校 デジタルトランスフォーメーションセンター所長。デジタル技術による企業変革と経済への影響について研究を行う。Digital Leadership Agenda 2025のモデレーターとして、AIがもたらす経済構造の変革についての議論を主導。
1. Pimcoの組織とマクロ経済分析の手法
1.1 Pimcoの資産規模と投資アプローチ
Pimcoは、債券を中心とするアクティブ運用において世界有数の運用会社であり、現在約1.8兆ドルの資産を運用しています。この規模感を示す一例として、かつてはこの資産規模でMicrosoftを買収できたかもしれませんが、現在のMicrosoftの時価総額は3兆ドルに達しており、もはやそれも不可能になっています。
私たちの投資アプローチの特徴は、徹底したトップダウンの視点にあります。このアプローチは、マクロ経済動向を詳細に分析し、それを投資判断に反映させる手法です。この手法の根底には、市場の非効率性に対する確固たる信念があります。実際、アクティブ運用のボンドマネージャーとして成功するためには、市場に少なくとも自分たちがエッジを持てるだけの非効率性が存在すると信じる必要があります。
私たちは、マクロ経済のトレンドを分析し、それを投資プロセスに組み込むことで、市場の非効率性を特定し、投資機会を見出しています。この投資アプローチは、特に現代のように不確実性が高い市場環境において、その真価を発揮します。例えば、AIに関する内部のボット"George"を活用し、私たちのリサーチや分析をデータベース化することで、一貫した見解を組織全体で共有し、効率的な意思決定を可能にしています。
私たちが重視しているのは、単なる市場予測ではなく、様々なシナリオの分析とリスク評価です。これは、市場の非効率性を活用するためには、標準的な市場見通しを超えた、より深い分析が必要だと考えているためです。このアプローチにより、私たちは市場の変動に対して、より効果的に対応することができています。
1.2 四半期サイクルフォーラムと年次セキュラーフォーラムの運営
私たちPimcoの投資プロセスの中核を成すのが、フォーラムと呼ばれる全社的な会議体です。特に重要なのが、四半期ごとに開催されるサイクリカルフォーラムと、年1回開催されるセキュラーフォーラムです。
サイクリカルフォーラムでは、8-12ヶ月の時間軸で市場を分析します。このフォーラムの特徴は、その包括的な参加形態にあります。法務部門から始まり、投資に関心のあるすべての部門のスタッフが参加できる開かれた場となっています。ここでは、ポートフォリオマネージャーやエコノミストチームと共に、市場に影響を与える主要なリスクとマクロ経済のテーマについて議論を行います。
一方、セキュラーフォーラムは、より長期的な視点から市場を分析する場として位置づけられています。これは年に1回開催され、より長期的な経済・市場のトレンドやリスクを特定することを目的としています。
両フォーラムにおいて、私たちは予測演習を行い、市場における重要なリスクとマクロ経済のテーマを提示します。これらの分析は、ポートフォリオマネージャーに対して、今後の市場動向に関する一種のロードマップを提供することを目的としています。
フォーラムの重要な特徴は、単なる予測の場ではなく、様々なシナリオを検討する場であることです。市場で取引される資産の価格形成要因を理解し、それに基づいて投資判断を行うための重要な情報交換の場として機能しています。この組織的なアプローチにより、私たちは市場の変化に対してより効果的に対応することができています。
1.3 シナリオ分析とリスク評価の重要性
私たちPimcoの投資プロセスにおいて、シナリオ分析とリスク評価は特に重要な位置を占めています。特筆すべきは、基本シナリオ(ベースケース)よりもリスクシナリオを重視するアプローチです。
私たちがベースケースよりもリスクケースを重視する理由は明確です。実際のところ、投資における利益や損失を生むのは、ベースケースではありません。むしろ、市場の予想から外れた展開、すなわちリスクケースこそが、投資パフォーマンスを大きく左右するのです。
このため、私たちはポートフォリオマネージャーに対して、市場で取引される資産の価格形成要因を詳細に分析し、その結果に基づいて様々なリスクシナリオを提示します。これは、単なる予測値の提供ではなく、市場の変動要因を包括的に理解するためのロードマップとして機能します。これにより、ポートフォリオマネージャーは、市場の変化に対してより効果的に対応することができます。
このアプローチは、市場価格に織り込まれている要素を慎重に分析することで、より効果的なリスク管理と投資機会の特定を可能にします。特に、私たちは市場価格が必ずしもすべてのリスクを適切に反映していないという認識のもと、独自の分析を通じて投資機会を見出しています。
2. 現在の世界経済の状況
2.1 パンデミック後の経済正常化の進展
私たちは、過去数年間にわたって非常にユニークな一連の経済ショックを経験しました。これは経済学者が言うところの「経済ショック」の典型的な例です。パンデミックそのものがショックであっただけでなく、それに対する政府の対応も大きなショックとなりました。
具体的には、米国における家計や中小企業への資金移転が挙げられます。多くの方々はPPP(給与保護プログラム)を覚えていらっしれると思いますが、このような形で経済に大量の資金が投入されました。これは、パンデミックによって供給が制約されている時期に需要を押し上げる結果となりました。
現在、これらのグローバルな規模のショックから時間が経過するにつれ、私たちは「通常の状態」に戻りつつあります。しかし、興味深いことに、2019年の状態がどのようなものだったのかを思い出すことさえ難しくなっています。インフレ指標や労働市場の指標、実質家計資産、サプライチェーンのストレスなど、これらの指標を見ると、米国だけでなく世界的にも、パンデミック以降で最も2019年型の経済に近づいています。
しかし、唯一2019年の状態と異なるのが金融政策のレベルです。これは米国だけの現象ではなく、先進国全体に共通しています。この文脈で、FRBによる50ベーシスポイントの利下げは極めて合理的な判断だと考えています。通常、中央銀行は景気後退期にのみ利下げを行い、景気後退を予測することは苦手ですが、それが実際に起きていることを認識するのは得意です。
現在の状況はやや特殊で、中央銀行が景気後退に入る前に、中立的な政策水準に戻ろうとしていることが特徴です。米国経済は実際にかなり健全な状態にあり、私たちは単に正常化のプロセスにあると考えています。従って、政策もそれに応じて正常化されるべき段階にあるのです。
2.2 米国経済の特異な回復力と生産性の向上
パンデミック後の米国経済の回復は、世界経済の中でも際立った特徴を示しています。特に注目すべきは、米国株式市場の世界における存在感の拡大です。過去15年ほどで、米国株式市場の世界市場に占めるシェアは30%から50%へと大幅に拡大しました。
この成長の背景には、パンデミック後の米国経済の回復力があります。特に生産性の面で、米国は他の国々と比較して顕著な優位性を示しています。これは技術革新やその実装に関連する指標において顕著です。
投資トレンドを見ても、米国は他の地域と比べて堅調な推移を示しています。世界的に金融引き締めによる高金利環境にある中でも、米国の投資は比較的健全な水準を維持しています。これは、他の地域で投資が停滞している状況とは対照的です。
この米国経済の特異な強さは、技術革新を基盤とした生産性向上に支えられています。パンデミック以降の様々な指標において、米国経済は他の地域を上回るパフォーマンスを示しており、これは単なる景気循環的な現象ではなく、構造的な強みを反映していると考えられます。
2.3 欧州経済の低迷と構造的課題
欧州の経済状況について、私たちが欧州の方々と対話する際、彼らの見方は非常に悲観的です。パンデミック以降、米国経済は多くの指標で際立った成果を示してきましたが、欧州は対照的な状況にあります。
生産性の面では特に深刻な問題を抱えています。他の経済圏の回復が目覚ましい中、欧州の生産性成長は停滞から縮小の傾向にあります。投資トレンドを見ても、厳しい金融政策と高金利環境の影響はありますが、米国の投資が堅調さを保っているのに対し、欧州では極めて停滞的な状況が続いています。
特に注目すべきは、ECB(欧州中央銀行)の関係者との対話から浮かび上がってきた欧州の成長モデルに対する懸念です。「米国は革新し、欧州は規制する」という古い格言が、現在の状況を端的に表しています。この認識は、欧州の政策立案者の間でも強く意識されています。
実際、テクノロジー産業の関係者からも、欧州での事業展開の困難さが指摘されています。これは長期的な成長とイノベーションという観点から見て、深刻な課題となっています。このような構造的な問題が、欧州の経済成長を抑制する要因となっているのです。
3. グローバル経済の3つの主要な変革
3.1 化石燃料から再生可能エネルギーへの転換
私たちは、パンデミックの間、トイレットペーパーが店頭で買えるかどうかといった目の前の課題に注目していた一方で、その背後では重要な構造変化が進行していました。実際には、パンデミックによってこれらの変革は加速されたと考えています。
私たちは、3つの主要なグローバル変革が進行していると考えており、その一つが「ブラウンからグリーンへ」の転換、つまり再生可能エネルギーへの移行です。この変革は、3-5年の期間で考える「セキュラー」な視点だけでなく、より長期的な「スーパーセキュラー」な視点からも重要です。
このエネルギー転換は、世界の商品需要の構造を大きく変えています。化石燃料からの脱却は、これまで化石燃料の生産で力を持っていた国々の影響力を低下させる可能性があります。これらの国々は、自らの力を維持するために様々な形で抵抗を示す可能性があります。
しかし同時に、リチウムや銅、コバルトなどの新しい資源の重要性が高まっています。中国がこれらの資源の主要なサプライヤーとなっているという事実は、新たな貿易摩擦を引き起こす可能性があります。
さらに、欧州の例に見られるように、再生可能エネルギーの規制を基幹エネルギーの供給が十分に確保される前に進めることで、エネルギー安全保障の問題が生じる可能性があります。これらの課題は、政策立案者にとって困難な課題となっており、より不安定な経済サイクルや、インフレショックやサプライショックの可能性を高めています。
ただし、長期的に見れば、これらの変革が完了した後の世界では、より多くの生産能力が整備され、これは最終的にはディスインフレ要因、あるいはデフレ要因になると考えています。
3.2 単極から多極世界秩序への移行
私たちが特定した第二の主要な変革は、単極的な世界秩序から多極的な世界秩序への移行です。この変革の最も顕著な特徴は、企業のサプライチェーン戦略の根本的な変化に現れています。従来の最も効率的なサプライチェーンを追求する考え方から、より回復力(レジリエンス)を重視する戦略への転換が進んでいます。
この変化は、企業の勝者と敗者を明確に分けることになるでしょう。勝者となる企業は、この新しい世界秩序をうまく航行する方法を習得した企業です。具体的には、サプライチェーンの冗長性を構築しながらも、新しい革新的な技術を活用してコストと効率性の両立を実現できる企業です。特に、ファーストムーバーとしてこれらの変革に対応できる企業が優位性を確保できると考えています。
同時に、この変革は地域間のパワーバランスも大きく変えつつあります。これまで特定の資源や生産能力で優位性を持っていた国々の影響力が変化し、新たな力関係が形成されつつあります。企業はこうした地政学的な変化に対応しながら、自社のサプライチェーンを再構築する必要に迫られています。
この変革は、マクロ経済の変動性を高める要因となるでしょう。政策立案者にとっては複雑な課題となり、ストップ・アンド・ゴー的な政策対応を余儀なくされる可能性があります。企業にとっては、このような環境変化に適応するための戦略の見直しが不可欠となっています。企業は単なる効率性の追求から、より複雑な要因を考慮した戦略立案を求められているのです。
3.3 デジタルトランスフォーメーションの加速
3つ目の主要な変革は、デジタルトランスフォーメーションの加速です。パンデミックの時期、私たちが日常的な課題に直面している間にも、このデジタル化の流れは大きく加速されました。この変革は、他の二つの変革と同様に、私たちの予想以上のスピードで進行しています。
デジタルトランスフォーメーションが労働市場に与える影響については、単純な仕事の消失だけでなく、より複雑な変化が起きています。私たちPimcoでも、"George"というボットが学部インターンの仕事の一部を代替しているように、業務の自動化は着実に進んでいます。しかし、これは必ずしも人材が不要になることを意味するわけではありません。
実際には、仕事の形態が変化するのです。例えば、私たちは確かにインターンを雇用し続けていますが、彼らの業務内容は変化しています。私たちが取り組むべき課題は、人々が新しい仕事の形態に適応できるよう、再訓練を行うことです。
デジタルトランスフォーメーションはまた、企業間の格差も生み出しています。新しい技術を効果的に導入し、サプライチェーンの効率性と回復力を両立させる企業が勝者となり、そうでない企業は取り残される可能性があります。しかし同時に、このような変革は新しい機会も創出しています。企業にとって重要なのは、このような変化に適応し、新しい価値を創造する能力を持つことです。
労働市場の変化に関しては、全ての人が勝者になれるわけではありません。一部の人々は再訓練を必要とし、仕事の内容は大きく変化するでしょう。しかし、これは仕事の消失というよりも、仕事の変容として捉えるべきです。デジタルトランスフォーメーションは、新しいスキルと適応能力を持つ人材への需要を生み出しているのです。
4. PimcoにおけるAI活用の実践例
4.1 "George"ボットの開発と活用事例
私たちPimcoでは、"George"と名付けられたAIボットを開発し、実際の業務に活用しています。当初、このボットは学部インターンの業務の一部を自動化するために開発されましたが、現在ではその機能は大きく拡張されています。
私たちが執筆するレポートや分析文書は、すべてデータベースに蓄積され、Georgeの学習コーパスとなっています。例えば、「Tiffany Wildingのように振る舞って」と指示すると、Georgeは「こんにちは、私はTiffany Wildingです」と応答し、最新のCPI予測や米国経済、金融政策に関する私の見解を提供することができます。これにより、組織内の誰もが、いつでも必要なときに私の見解にアクセスすることが可能になっています。
さらに、Georgeは経済モデルとも統合されています。私たちの計量経済モデルはすべてPythonで実装されており、Georgeはこれらのモデルを活用して分析を行うことができます。例えば、10年物金利が100ベーシスポイント上昇した場合のGDP成長率、失業率、インフレ率への影響を、ベースラインシナリオとの比較で予測することができます。
実際の運用面では、このようなボットの活用により、以前は手作業で行っていた多くのモデル計算や分析作業が自動化され、より高度な分析に時間を割くことが可能になっています。また、ブルームバーグからのデータ取得も自動化されており、リアルタイムでの市場分析も可能になっています。
ただし、これは私たちの仕事が完全に自動化されることを意味するわけではありません。むしろ、Georgeは私たちの能力を補完し、より高度な分析や意思決定に注力できる環境を提供しているのです。実際、今後は私のような経済学者の仕事も変化していくかもしれませんが、それは仕事の消失というよりも、より高度な分析や判断に重点が移行していくものと考えています。
4.2 OpenAIとの4年間のパートナーシップ
私たちPimcoは、約4年前からOpenAIとパートナーシップを結んでいます。このパートナーシップは、単なる技術導入以上の価値を私たちにもたらしています。社内には独自のコンピュータサイエンティストチームがあり、彼らがOpenAIの技術を私たちの特定のニーズに合わせて最適化する作業を行っています。
当初、社内には大きな懐疑心がありました。しかし、OpenAIとの協業を通じて、AIの具体的な可能性に実際に触れ、体験することで、そうした懐疑的な見方は大きく変化していきました。実際にAIに触れ、その能力を実感することが、組織全体の理解を深める上で非常に重要でした。
具体的な成果の一例として、私たちは金融政策の分析において大きな進展を見せています。例えば、連邦準備制度理事会の全ての発言や議事録の履歴データベースを構築し、AIを活用して分析を行っています。「リチャード・クラリダのように考えてください」や「アラン・グリーンスパンの立場から見て、現在の状況からどのような教訓を得られますか」といった質問に対して、AIは豊富な歴史的データに基づいて的確な分析を提供することができます。
このようなツールの開発には、社内の革新的なチームの存在が不可欠でした。彼らの努力により、比較的短期間でこれらのシステムを実装し、改善することができました。特に重要なのは、必要なデータを一箇所に集約し、AIがそれを読み取れるようにする作業でした。このデータの整理と統合が、システムの性能向上において最も時間のかかる部分でしたが、一度それが完了すると、システムは驚くべき速さで進化し、より賢くなっていきました。
4.3 経済モデルとAIの統合による予測精度の向上
私たちPimcoでは、現在、全ての計量経済モデルをPythonで実装しています。これにより、AIシステムにモデルを組み込み、より高度な分析が可能になっています。AIは、これらのモデルを読み込み、解釈し、実行することができます。
特筆すべき例として、米国連邦準備制度理事会の大規模経済モデルであるFRB-USやFERBUSとの連携があります。このモデルのPython実装を活用することで、私たちは高度な経済シミュレーションを行うことができます。例えば、AIに対して「10年国債金利が100ベーシスポイント上昇した場合、今後数年間のGDP成長率、失業率、インフレ率にどのような影響があるか」といった質問を投げかけることができます。AIは、この質問に対してベースラインとの比較分析を含む詳細なレポートやグラフを自動的に生成することができます。
また、私たちのシステムはBloombergとも連携しており、リアルタイムでデータを取得し分析することが可能です。これにより、市場の動きに即座に反応し、より正確な予測と分析を行うことができます。
このような統合的なアプローチにより、私たちは経済予測の精度を大幅に向上させることができました。AIは単独で機能するのではなく、既存の経済モデルと組み合わさることで、より信頼性の高い分析ツールとなっています。これは、伝統的な経済分析手法とAIの強みを組み合わせた、新しい形の経済分析の実現を示しています。
5. AIと意思決定プロセス
5.1 スーパーフォーキャスティングにおけるAIの性能
私たちPimcoでは、不確実性とシナリオ分析に重点を置いており、様々なアウトカムに対する確率を割り当てる作業を行っています。この分野で私たちは「スーパーフォーキャスティング」の手法を積極的に活用しています。
スーパーフォーキャスティングの評価には、フィリップ・テトロックの研究で知られるブライアスコアを用いています。このスコアは、予測者が様々な結果に割り当てた確率がどの程度正確だったかを時間の経過とともに追跡します。社内では、誰が実際にエッジ(優位性)を持っているのか、どの分野で強みを発揮しているのかを評価するために、この指標を活用しています。
興味深いことに、私たちが開発したAIボットは、このスーパーフォーキャスティングの分野でも優れた性能を示しています。ボットは様々なアウトカムに対して合理的な確率を割り当てることができ、実際にポートフォリオのリスク評価や取引の検討において、人間の判断を補完する重要なツールとなっています。
スーパーフォーキャスティングでは、時間とともに学習スコアやブライアスコアが蓄積され、予測能力の向上度合いを測ることができます。この指標を通じて、AIと他の予測者を比較評価することで、それぞれの強みと弱みを理解し、より効果的な意思決定プロセスを構築することができています。
こうした評価システムの存在により、私たちは予測の質を継続的に向上させ、より信頼性の高い投資判断を行うことが可能になっています。AIはこのプロセスにおいて、単なる補助ツールではなく、独立した予測者としての役割も果たすようになってきています。
5.2 経営者の認知バイアスとAIによる補完
最近、シカゴ大学のリチャード・セイラー博士とのパネルディスカッションで興味深い研究結果について議論する機会がありました。この研究は、Pimcoのメンバーが執筆した行動ファイナンスに関する論文に基づくものでした。
研究では、様々な企業のCFOを対象に、時系列で調査を実施しました。CFOたちにS&P500の予測を依頼し、単なる点予測だけでなく、80%信頼区間の提示も求めました。驚くべきことに、CFOたちが事前に提示した80%信頼区間は、事後的に見ると実際の結果の分布の80%をカバーできていませんでした。つまり、CFOたちは自分たちの予測能力に対して過度に自信を持っており、実際のリスクの分布を過小評価していたのです。
セイラー博士によれば、この現象の背景には興味深い心理がありました。「もし私がCFOとして、市場の動きを正確に予測できないのであれば、なぜ企業は私にこれほど高い報酬を支払うのか」という思考です。つまり、高い地位や報酬が、むしろ過度の自信を生み出す要因となっているのです。
しかし、実際のビジネスシナリオや計画において、リスクの実際の分布を理解し、ダウンサイドリスクを適切に評価することは極めて重要です。ここでAIが重要な役割を果たします。AIは人間のような認知バイアスを持たず、過去のデータに基づいて、より客観的に確率分布を評価することができます。
私たちは現在、このような経営者の認知バイアスを補完するためのAIツールの開発を進めています。AIは、より広範なリスクシナリオを提示し、人間の判断の限界を補完する役割を果たすことができると考えています。
5.3 プレモーテム分析へのAI活用の可能性
Pimcoでは、プレモーテム(事前死因分析)と呼ばれる独自の分析手法を実践しています。これは、投資を実行する前に、その投資が失敗する可能性のある要因を事前に特定する手法です。
投資に対して興奮や期待を感じている時こそ、その投資が失敗する可能性を考えることは難しいものです。そこで私たちは、投資を実行する前に、「この投資は必ず何らかの時点で問題に直面する」という前提に立ち、投資実行前にその失敗理由をできる限り列挙する作業を行います。
この取り組みは、投資家の視野を広げ、潜在的なリスクに対する認識を深める上で非常に効果的です。現在、私たちはこのプレモーテム分析にAIを活用する方法を模索しています。AIは人間が見落としがちな視点や、過去の類似事例からの教訓を提供することができ、より包括的なリスク分析を可能にすると考えています。
特に、AIはバイアスにとらわれることなく、様々な失敗シナリオを提示することができます。また、過去の投資事例や市場データの分析を通じて、人間では気づきにくいパターンや関連性を見出すことも期待できます。これにより、投資判断の質を更に向上させることができると考えています。
このようなAIの活用は、まだ発展途上の段階にありますが、私たちは継続的にその可能性を追求しています。プレモーテム分析とAIの組み合わせは、より体系的なリスク評価と、より洗練された投資判断を可能にする重要なツールになると確信しています。
6. AIの経済的影響と将来展望
6.1 現在の企業におけるAI導入率(約5%)の現状
私たちは米国国勢調査局のデータを注意深く分析しています。国勢調査局は企業に対して、AIの導入状況に関する調査を実施しており、その最新の結果は非常に興味深いものです。
現在の調査によると、企業におけるAIの実装率は約5%程度に留まっています。つまり、多くの企業はまだAIの可能性を十分に理解できていないか、あるいは自分たちには関係のない技術だと考えている可能性があります。これは言い換えれば、企業は「自分たちが何を知らないのかさえ知らない」状態にあるということです。
特筆すべきは、国勢調査局が最近、2週間ごとの定期的な企業調査にAIに関する質問を追加したことです。具体的には、2つの重要な質問が追加されています。1つは「過去2週間以内にAIを使用したか」という現状に関する質問、もう1つは「今後6ヶ月以内にAIの使用を予定しているか」という将来予測に関する質問です。
このような定期的なモニタリングの実施は、AIの導入が今後急速に進む可能性があるという認識に基づいています。現在の5%という導入率は、AIサプライヤーによる多額の投資額を考えると、やや不安を感じる水準です。しかし、この状況は急速に変化する可能性があり、特に企業がAIの具体的な価値を理解し始めれば、導入率は指数関数的に上昇する可能性があります。
6.2 インフラ投資とAI実装の関係性
マクロ経済の観点から見ると、AI導入の前提として、大規模なインフラ投資が不可欠です。私たちは現在、この投資の始まりに立ち会っていると考えています。特に重要なのは、データセンターのインフラ整備です。実際に、クウェートやアブダビ、ドバイなどのUAEが世界最大規模のデータセンターを建設しているのは、この文脈で非常に興味深い現象です。
これらの地域が競争力を持つ理由の一つは、豊富な余剰エネルギーの存在です。データセンターの運営には大量の電力が必要となりますが、これらの地域は必要なエネルギーを効率的に供給できる体制を整えています。このように、エネルギー資源の存在が、新たな形で地政学的な優位性をもたらす例となっています。
しかし、AIの本格的な実装のためには、さらなる資本深化(capital deepening)が必要です。具体的には、インフラストラクチャーへの投資、特に電力網の整備が重要です。データセンターの需要に対応できる送電網の整備は、AIの広範な展開において不可欠な要素となります。
私たちの予測では、このような資本投資の波は今後加速していくと考えています。これは単なるインフラ投資ではなく、より広範なAIの実装を可能にするための基盤整備として捉える必要があります。より大きな生産性の向上を実現するためには、まずこのような資本深化のプロセスを経る必要があるのです。
6.3 生産性向上における歴史的パターン
私たちは、現代のアメリカの歴史において、生産性の大きな飛躍が見られた二つの重要な時期を特定しています。これらの事例は、現在のAIによる生産性向上を考える上で重要な示唆を与えてくれます。
1つ目は1960年代の生産性ブームです。この時期、アメリカ政府は科学研究に多額の資金を投じ、宇宙開発競争が進行していました。同時に、グローバル貿易の開放が進み、これがイノベーションを促進する要因となりました。特筆すべきは、この時期に政府主導でインフラ投資と資本深化が大規模に行われたことです。
2つ目は1990年代の生産性ブームです。この時期は、ネットスケープナビゲータの登場に象徴される技術革新と、90年代初頭の大規模な技術投資が先行して行われました。これらの投資が90年代後半の生産性ブームにつながっていきました。
このような歴史的パターンを見ると、まず大規模な投資の波があり、その後に生産性の向上が続くという順序性が見て取れます。これは他の国々でも同様のパターンが観察されています。
私たちは現在、AIによる生産性向上の入り口に立っていると考えています。しかし、実際の生産性向上を実現するためには、まず必要なインフラ投資を行い、それを支える基盤を整備する必要があります。これは過去の生産性ブームと同様のパターンです。
ただし、AIによる生産性向上には特殊性があります。従来の技術革新と異なり、AIはアイデアの創出自体を支援できる技術です。この点は、過去の生産性向上とは質的に異なる特徴であり、その影響は従来以上に広範かつ深遠なものとなる可能性があります。
7. AIがもたらす変革の特殊性
7.1 アイデア創出能力としてのAIの独自性
AIがもたらす変革は、間違いなく革新的なものです。私たちの分析によれば、AIの特殊性は、他の革新的技術との本質的な違いにあります。これまでの変革的な技術は、人々がアイデアを考え出し、そのアイデアをより効率的に実装するのを支援するものでした。しかし、AIは全く異なります。AIは文字通り、アイデアの創出自体を支援する技術なのです。
この特徴は、特に人口動態の変化が進む現代において重要な意味を持ちます。人口の伸びが鈍化し、アイデアを生み出す人材の増加も限定的になる中で、AIはこのギャップを埋める可能性を持っています。さらに、技術革新が進むにつれて、新しいアイデアを生み出すことはより困難になっていきますが、AIはこの課題に対する解決策となり得ます。
AIの独自性は、その変革的な影響の大きさにも表れています。私たちはまだその可能性を完全には理解できていない段階にありますが、AIがアイデア創出のプロセスそのものを変革する可能性を秘めていることは明らかです。これは、単なる効率化や自動化を超えた、より本質的な変革となるでしょう。
このような特徴を持つAIは、イノベーションの加速において重要な役割を果たすと考えられます。AIが新しいアイデアの創出を支援することで、技術革新のサイクルがさらに加速する可能性があります。これは、従来の技術革新とは質的に異なる、新しい形のイノベーションの時代の幕開けを意味するかもしれません。
7.2 自己改善能力を持つ技術としての特徴
私たちが特に注目しているのは、AIが自己改善能力を持つ技術だという特徴です。これは非常に特異な性質で、AI以外のほとんどの技術には見られない特徴です。一度実装されたAIは、フィードバックと学習を通じて継続的に進化し、より高度な機能を獲得していきます。
この再帰的な性能向上の可能性は、イノベーションサイクルに大きな影響を与えます。例えば、私たちのGeorgeボットは、時間の経過とともに予測の精度が向上し、より賢くなっていきます。特に、必要なデータを一箇所に集約し、AIが読み取れるようにする初期の整備が完了すると、システムは驚くべき速さで進化していきます。
このような自己改善能力は、価値創造の新しい形態をもたらします。なぜなら、AIは単なるツールとしてだけでなく、創造的なパートナーとして機能し始めるからです。これは、人間とAIの協働による新しい価値創造の可能性を示唆しています。その協働は、人間の創造性とAIの処理能力を組み合わせることで、これまでにない形のイノベーションを生み出す可能性があります。
例えば、AIがアイデアの創出を支援し、そのアイデアをさらに発展させる過程で、AIは自身の性能も向上させていきます。これは、イノベーションを加速させる正のフィードバックループを形成する可能性があります。この特徴は、AIが他の技術とは質的に異なる変革をもたらす可能性を示唆しています。
7.3 雇用への影響:消失よりも変容
私の考えでは、AIが雇用に与える影響は、単純な仕事の消失という形ではなく、より複雑な変容の形で現れると考えています。これは私たちPimcoでの経験からも明らかです。例えば、私たちがGeorgeボットを導入したことで、確かに学部インターンの一部の業務は自動化されましたが、それは仕事の完全な消失ではなく、仕事の内容の変化をもたらしました。
重要なのは、AIの影響がタスクレベルで生じるということです。つまり、ある職種全体が消失するのではなく、その職種を構成する個々のタスクが変化していくのです。例えば、私たちは依然として学部インターンを採用し続けていますが、彼らの業務内容は従来とは異なるものになっています。
この変容に対応するための鍵となるのが、人材の再訓練です。人々は新しい仕事の形態に適応していく必要があります。例えば、私たち経済学者の仕事も変化していくかもしれませんが、それは仕事の消失ではなく、より高度な分析や判断に重点が移行していくものと考えています。
また、この変化は新しい職種の創出も伴います。従来存在しなかった役割や、AIと人間の協働を前提とした新しい形態の仕事が生まれる可能性があります。確かに、全ての人がこの変化の中で勝者になれるわけではありませんが、重要なのは、この変化を仕事の消失としてではなく、仕事の変容として捉え、それに適応していく姿勢です。
このような労働市場の構造的な変化に対して、企業と個人の両方が積極的に適応していく必要があります。AIは私たちの仕事を奪うのではなく、むしろ私たちの仕事の方法を変えていくのです。それは、より創造的で高度な価値を生み出す方向への変化となるでしょう。