※本記事は、CDTのDigital Leadership Agenda 2025で行われたRoxanne Austin氏(AbbVie、Verizon、CrowdStrike、Freshworksの取締役)の講演内容を基に作成されています。講演は「The AI Imperative: Why Boards Must Take Bold Action Now」と題して行われ、その詳細は https://www.youtube.com/watch?v=9P6Gxa8-pe4 でご覧いただけます。
本記事では、講演の内容を要約・構造化しております。なお、本記事の内容は原講演の見解を正確に反映するよう努めていますが、要約や解釈による誤りがある可能性もありますので、正確な情報や文脈については、オリジナルの講演映像をご覧いただくことをお勧めいたします。
講演で示された見解は、Roxanne Austin氏の豊富な取締役経験に基づくものですが、これらは個人的な見解であり、必ずしも関連する組織の公式見解を代表するものではありません。また、本記事で言及される企業名や数値データは、講演時点(2025年)のものです。
なお、本講演のモデレーターを務めたのは、Center for Digital TransformationのディレクターであるVijay Gurbaxani氏です。
1. 登壇者の経歴と背景
1.1. Deloitte & Toucheでのキャリアスタート
Roxanne Austin:私のキャリアは、Deloitte & Toucheでスタートしました。そこでパートナーになるまで在籍し、コンサルティングと監査の両方の分野で経験を積みました。特に航空宇宙・防衛産業を専門とし、M&Aの分野でも深い知見を得ました。
私がこの分野に惹かれた理由は、航空宇宙産業の根幹が技術にあったからです。それ以来、技術は私のキャリアの基盤となり、投資や経営の意思決定において重要な視点となっています。コンサルティングの立場、投資家の立場、さらには取締役としての立場など、様々な角度から技術の重要性を見てきました。
私たちはマージャーやアクイジションのプロジェクトで、技術がビジネスの根幹を形作る様子を目の当たりにしました。これは後の私のキャリアにおいて、技術を戦略的な観点から評価し、活用していく上で非常に貴重な経験となりました。
このDeloitte & Toucheでの経験は、単なる会計やコンサルティングの知識を超えて、技術を中心とした事業変革や戦略的意思決定の基礎を築いてくれました。特にM&Aにおいては、技術的なデューデリジェンスの重要性を学び、これは現在のAI時代においても極めて重要な視点となっています。
1.2. 航空宇宙・防衛産業での専門性
キャリアの中で、航空宇宙・防衛産業での経験は特に重要な意味を持っています。航空宇宙企業の基盤は技術そのものであり、この産業での経験を通じて、技術が企業の競争力の源泉となることを深く理解しました。
私はDeloitte & Toucheでの経験を通じて、特に航空宇宙・防衛産業に特化したコンサルティングと監査を担当しました。この分野では、技術が企業の価値創造の中心にあり、M&Aにおいても技術の評価が極めて重要な要素となっていました。
この経験は、その後の私のキャリア全体を通じて、技術を戦略的な視点で捉える基礎となりました。航空宇宙産業で培った技術管理の知見は、現在のAI時代においても非常に有用です。技術をビジネスの中核に据え、イノベーションを促進する考え方は、航空宇宙産業での経験から得た重要な学びの一つです。
航空宇宙・防衛産業での経験は、単なる技術理解にとどまらず、技術を活用した事業変革や戦略的意思決定の重要性を学ぶ機会となりました。この経験は、現在私が取締役を務める様々な企業でのテクノロジー戦略の策定にも大きく活かされています。
1.3. 複数の企業での取締役経験
私のキャリアは、コンサルティングから投資、経営陣、そして取締役と、様々な立場を経験してきました。特に技術を基盤とする企業での経験が豊富です。例えば、Ericssonでは5G技術の最前線に携わり、AbbVieではバイオテクノロジーの革新に関与してきました。また、シリコンバレーのSaaS企業であるFreshworksやCrowdStrikeの取締役も務めています。
私のキャリアの中で特筆すべき経験の一つは、Hughes Electronicsでのチーフ・フィナンシャル・オフィサー(CFO)としての役割です。そこでの経験は、技術企業における財務戦略の重要性を深く理解する機会となりました。また、DirectTVの社長としても務め、メディア・テクノロジー産業における事業運営の経験も積みました。
これらの経験を通じて、私は複数のキャリアを持つことができました。各役割で得た知見は、現在の取締役としての職務に大きく活かされています。特に、技術革新が事業に与える影響を、財務、経営、戦略など、様々な観点から評価できることが強みとなっています。
こうした多様な経験は、現在私が関わっているAIガバナンスの研究プロジェクトにも活かされています。技術と経営の両面から、AIがもたらす変革の可能性と課題を評価し、効果的なガバナンスフレームワークの構築に取り組んでいます。
2. AIを企業戦略の中核に据える必要性
2.1. AIファースト企業とレガシー企業の対比
私は現在、AIに対する様々なアプローチを持つ企業の取締役を務めています。それぞれの企業がAIに対して異なるスタンスを取っていますが、いずれも重要な示唆を提供しています。
CrowdStrikeは、まさにAIファースト企業の代表例です。同社は創業時からAIをコアテクノロジーとして位置づけ、そのスタック全体がAIを基盤として構築されています。これは単なるツールとしてのAI活用ではなく、ビジネスモデル自体をAIを中心に構築している例です。
一方、AbbVieは創業から長い歴史を持つ製薬会社ですが、AIを積極的に受け入れ、創薬プロセスや臨床試験の革新に活用しています。AIは医薬品開発の未来を切り開く重要な技術として認識されており、企業の将来にとって不可欠な要素として位置づけられています。
Verizonのような通信企業では、エッジコンピューティングにおけるAIの活用を検討しています。これは既存のインフラストラクチャーを活かしながら、新しい価値を創造しようとする取り組みです。
中規模市場向けのプライベートエクイティファンドの投資委員会を務めた経験からも、様々な企業のAI活用の現状を見てきました。多くの企業がAIに関与していますが、重要な違いは、単なるユースケースとしてAIを扱っているのか、それともイノベーションの源泉として戦略的に活用しているのかという点です。安全な選択として限定的な活用に留まっている企業もありますが、そのアプローチではもはや不十分です。
私の経験から、企業がAIを本質的な競争力の源泉として位置づけ、積極的に活用していくことが不可欠だと確信しています。単なるユースケースの実装に留まらず、ビジネスモデルの変革やイノベーションの創出につながるような戦略的な活用が求められています。
2.2. Target社でのデジタル介入の事例(2009年)
2009年、Target社の取締役会メンバーとして、私とSalter Hijoは「デジタル介入」という重要なイニシアチブを実施しました。当時、Targetはウェブとオンライン販売に対して消極的な姿勢を示しており、オンライン売上高は約10億ドルに留まっていました。私たちは、テクノロジーの進展、特にAmazonの台頭により、小売業界が劇的に変化しつつあることを強く認識していました。
この危機感から、私たちは南カリフォルニアのリッツカールトンホテルで、Target社の上級管理職チーム全員を集めた特別セッションを開催しました。このセッションでは、第三者の専門家を招き、業界動向に関するデータや分析を共有しました。私たちの目的は、経営陣に業界の根本的な変化を理解してもらい、積極的なデジタル戦略の必要性を認識してもらうことでした。
この介入の背景には、Targetが自社を業界最高の小売業者と考え、独自の視点に固執していたという現実がありました。私たちは、この内部バイアスと業界に対する近視眼的な見方を打破する必要がありました。
しかし、この介入は必ずしも十分な成果を上げることができませんでした。Targetは単なるユースケースとしてウェブ販売を捉え、より大きなプラットフォームとしての可能性を見逃してしまいました。これは、テクノロジーを革新の源泉としてではなく、単なるツールとして捉えた結果でした。
この経験は、現在のAI革命に向き合う企業にとって重要な教訓となっています。テクノロジーの変革的な可能性を認識し、積極的に受け入れることの重要性を示しています。デジタル介入の事例は、企業が新しい技術に対して戦略的なアプローチを取ることの必要性を強く示唆しています。
2.3. Amazon vs Target:成長率の比較分析(2009-2023)
2009年当時のTarget社とAmazonの状況を具体的な数字で比較することで、技術革新への対応の違いが企業成長にどのような影響を与えたのかが明確になります。2009年時点では、Targetは640億ドル規模の企業であり、Amazonは240億ドルの企業でした。
しかし、2023年までの約15年間で、その差は劇的に広がりました。Targetは1,070億ドルまで成長した一方で、Amazonは5,740億ドルにまで成長を遂げました。この成長率の違いは、単なるウェブ販売の差ではありません。Amazonは、Amazon Web Servicesをはじめとする様々なプラットフォームを構築し、テクノロジーを革新の源泉として活用することで、はるかに大きな成長を実現しました。
対照的に、Targetはウェブ技術を単なるユースケースとして捉え、より大きなプラットフォームとしての可能性を見逃してしまいました。これは、テクノロジーを戦略的な観点から捉えることの重要性を示す典型的な例です。
この事例は、現在のAI革命に直面している企業にとって重要な教訓となっています。技術を単なるツールとして捉えるのか、それとも事業変革の機会として捉えるのかという選択が、企業の長期的な成長に決定的な影響を与えうることを示しています。私たちは2009年のデジタル革命から学び、AI時代においては同じ過ちを繰り返さないようにしなければなりません。
3. AIによる事業変革の緊急性
3.1. 2-3年以内の劇的な変化予測
最近、私とVijayは、AIガバナンスに関する研究プロジェクトを進めており、その過程でワシントンの政策立案者とのインタビューを行いました。このインタビューは、私にとって非常に印象的なものでした。この政策立案者は、AIによる社会変革が今後2-3年以内に劇的に進むと予測していました。
特に印象的だったのは、Vijayさえも黙り込んでしまうほど、この方の主張が説得力を持っていたことです。私は長年Vijayを知っていますが、彼が黙り込むのを見たのは初めてでした。この政策立案者は、AIがもたらす社会変革について非常に情熱的に語り、その変革の速度と規模が従来の予想をはるかに超えるものになると主張していました。
私は最近ニューヨークでこの方と再会する機会があり、その際に改めてこの予測について議論しました。彼は自身の予測に80%の確信を持っていると述べ、たとえその確率が30%だとしても、企業や政府は今すぐに行動を起こす必要があると強調していました。
この変革は、単なる技術の進化ではありません。社会全体に波及する根本的な変化であり、その影響は経済、雇用、社会構造など、あらゆる面に及ぶと予測されています。特に重要なのは、この変革の速度が従来の技術革新とは比較にならないほど速いという点です。企業や組織は、この急激な変化に対応するための準備を今すぐに始める必要があります。
3.2. 30%の確率でも準備が必要な理由
先日ニューヨークで再会した政策立案者との会話で、AIがもたらす変革の確率論について興味深い議論を交わしました。彼は自身の予測に80%の確信を持っていましたが、より重要な指摘は、たとえその確率が30%だとしても、企業や政府は今すぐに行動を起こす必要があるという点でした。
この考え方の背景には、リスクとリターンの非対称性があります。つまり、AIによる変革が実際に起こった場合、準備していなかった企業や組織が被るダメージは、準備のためのコストをはるかに上回る可能性が高いということです。これは、企業の存続にも関わる重大な問題となり得ます。
私のキャリアの中で経験してきた様々な技術革新の中で、AIほど重要な変革はないと考えています。過去の技術変革では、対応の遅れを取り戻すことが可能でしたが、AIの場合、その変革の速度と影響の大きさから、後からの対応では取り返しのつかない遅れを生じる可能性があります。
したがって、確率論的なアプローチとしては、たとえ30%という比較的低い確率であっても、その潜在的なインパクトの大きさを考慮すれば、今すぐに準備を始めることが合理的な選択となります。企業、政府、そして社会全体が、この変革に向けて計画を立て、必要な投資を行い、体制を整えていく必要があります。これは単なるリスク管理ではなく、将来の競争力を確保するための戦略的な投資として捉えるべきです。
3.3. 歴史的な技術革新との比較考察
私のキャリアを通じて、衛星技術から航空宇宙技術まで、多くの技術革新を経験してきました。Hughes社での経験や、様々な技術企業での取締役としての経験を通じて、数々の技術変革に携わってきました。しかし、私の経験の中で、AIほど重要な技術革新はありませんでした。
AIの特異性は、その変革の速度と規模にあります。過去の技術革新では、企業は時間をかけて適応することが可能でした。しかし、AIの場合、その変化の速度は従来の技術革新とは比較になりません。さらに、その影響は特定の業界や機能に限定されず、企業活動のあらゆる側面に及びます。
私は最近、ある著名なハーバード大学の教授と会話する機会がありました。その教授は「これまでも様々な技術革新があり、それらは大げさに喧伝されてきた」と述べていましたが、私はその見方に強く異議を唱えました。なぜなら、AIは単なる技術革新ではなく、社会全体を根本から変える可能性を持っているからです。
この変革の特徴は、社会、企業、個人のレベルで同時に起こる包括的な変化であり、その速度と影響の深さは、私がこれまでのキャリアで経験してきたどの技術革新とも異なります。そのため、企業は従来の技術革新への対応とは異なるアプローチを取る必要があります。アカデミアであれ、ビジネスであれ、政府であれ、自己投資と変革への準備を今すぐに始める必要があります。
4. ボードの役割と責任
4.1. AIを基盤とした事業戦略の策定
すべての企業において、AIは事業戦略の根幹を支える要素として位置づけられるべきです。私の経験から、AIは単なる事業戦略の一部ではなく、戦略そのものを加速し、イノベーションを促進し、支援する基盤として機能すべきだと考えています。
AIは、企業の事業戦略を単に支援するだけでなく、それを革新し、より迅速な目標達成を可能にする要素として捉える必要があります。一部の企業では、AIをユースケースのレベルで捉え、より慎重なアプローチを取っていますが、これは十分とは言えません。
私が関わっているボードでは、AIを事業戦略の中核に据えることを重視しています。例えば、CrowdStrikeではAIがビジネスの基盤技術となっており、AbbVieでは創薬プロセスの革新に不可欠な要素として位置づけられています。これらの企業では、AIは単なるツールではなく、競争優位性を生み出す源泉として認識されています。
取締役会は、AIを活用した戦略の策定において、より積極的な役割を果たす必要があります。経営陣がAIの活用に消極的であったり、単なるユースケースレベルの実装に留まっている場合、取締役会はより革新的なアプローチを促す必要があります。より大きな戦略的機会を見逃さないよう、常に広い視野を持って経営陣をサポートすることが重要です。
4.2. 3ヶ月単位での戦略見直しの必要性
私が経験した最近の取締役会では、AIに関する戦略について興味深い出来事がありました。経営陣が、わずか3か月前に提示した戦略を大きく変更する必要があると報告してきたのです。技術の進展があまりに急速で、3か月前に立てた戦略では不十分だと判断したためでした。
この状況について、私はベンチャーキャピタリストが集まる会議で話をしたところ、ある参加者は「そんな経営陣は交代させるべきだ」と発言しました。しかし、私はまったく異なる見方をしています。現在のAIの急速な進化の時代において、3か月で戦略を見直す必要性を認識し、それを取締役会に対して率直に提案できる経営陣こそ、高く評価されるべきです。
実際、その経営陣の判断は正しく、第三者による検証でもその戦略変更の必要性が確認されました。私は彼らの勇気を誇りに思いました。なぜなら、このような急速な変化の時代には、戦略は柔軟に進化させていく必要があるからです。
従来の経営では、戦略変更は失敗の証と見なされがちでした。しかし、AIの時代においては、状況の変化に応じて戦略を迅速に適応させる能力こそが、経営陣の重要な資質となります。取締役会は、このような柔軟性を持つ経営陣を支援し、戦略の迅速な見直しを促進する環境を作る必要があります。むしろ、変化を認識し、迅速に対応できる経営陣こそが、現代の企業に必要不可欠な存在なのです。
4.3. 経営陣とボードの関係性の再定義
取締役会のあり方は、AI時代において根本的な変革を必要としています。従来の役割分担では、CEOが戦略を立案し、その実行はCEOと経営陣が担い、取締役会は主にガバナンスの役割を果たすとされてきました。しかし、AIの急速な進展により、このモデルは見直しを迫られています。
私が経験している取締役としての役割は、より積極的なものになっています。特にAIに関しては、経営陣が消極的な姿勢を見せたり、単なるユースケースレベルの議論に留まっている場合、取締役会はより積極的に介入し、イノベーションを促進する必要があります。
例えば、2014年にTargetで経験したサイバーセキュリティ問題の際、取締役会は単なる監督機関としてではなく、より直接的に経営に関与する必要がありました。私は取締役会議長として5ヶ月間ミネアポリスに滞在し、新CEOを見つけるまで経営に深く関与しました。この経験は、危機時における取締役会の役割の重要性を示しています。
現在のAI革命に際しても、同様の積極的な関与が必要です。取締役会は、AIに関する戦略が適切か、十分な投資がなされているか、人材の確保は適切か、といった点について、より深く関与し、必要に応じて経営陣に対して変革を促す必要があります。これは単なる監督機能を超えた、より戦略的なパートナーシップの構築を意味します。
5. AI人材の獲得と投資
5.1. 人材獲得における競争優位性の構築
AI分野での人材獲得は、現在の企業経営における最も重要な課題の一つです。AI戦略を実行するためには、適切な人材への投資が不可欠です。これは単なる技術投資だけでなく、その技術を活用して企業を変革できる人材への投資を意味します。
現在、あらゆる企業がAI人材の獲得に苦心しています。私たちが直面している課題は、単にAIの専門知識を持つ人材を見つけることだけではありません。より重要なのは、AIを企業の目的に沿って効果的に活用できる人材を見つけ、維持することです。
例えば、AbbVieでは、単なるAI技術者ではなく、医薬品開発の文脈でAIを活用できる人材を必要としています。このような専門性を持つ人材を獲得するためには、従来とは異なるアプローチが必要です。シリコンバレー企業との競合において、私たちは異なる差別化要因を提示する必要があります。
人材市場における競争は非常に激しく、求められるスキルセットも急速に進化しています。必要なのはAIの技術的な知識だけでなく、ビジネスの文脈でAIを活用できる能力、そして企業の目的や価値観に共感できる資質です。このような多面的な要件を満たす人材を獲得するためには、単なる報酬パッケージを超えた、より包括的な価値提案が必要となります。
5.2. 目的意識を活用した人材誘致戦略
AbbVieでの経験から、私たちは優秀なAI人材を獲得するために、シリコンバレーとは異なるアプローチを取る必要があることを学びました。特に重要なのは、企業の目的(パーパス)を活用した採用戦略です。
AbbVieの場合、私たちは人々の生命を救い、生活を向上させるという明確な目的を持っています。この目的は、特に現代の若い世代にとって非常に魅力的です。彼らは単なる給与や待遇だけでなく、自分たちの仕事が社会にどのような影響を与えるのかを重視します。例えば、AIを活用して新薬開発を進め、人々の命を救うという使命は、多くの優秀な人材を引きつける強力な要因となっています。
シリコンバレー企業と比較して、伝統的な製薬会社がAI人材を獲得するのは容易ではありません。しかし、私たちは目的主導のアプローチを取ることで、この課題に対応しています。家族や愛する人々のより良い生活のために働くという明確な目的は、この世代の価値観と強く共鳴します。
この採用戦略の成功は、企業文化との整合性にも大きく依存します。目的を掲げるだけでなく、実際の企業文化がその目的を反映していることが重要です。AbbVieでは、イノベーションと社会貢献を重視する文化を育てることで、目的主導の採用戦略をより効果的なものとしています。
5.3. 高額な人材投資の必要性
AI人材の獲得コストは、企業が想定する以上に高額になっています。最近の例として、Googleが特定の人材を獲得するために26億ドルという投資を行った事例があります。この投資は、単に一人の人材を雇用するためだけではなく、その人材が所属していた企業の知的財産権も含めた包括的な投資でしたが、これは優秀なAI人材の価値を示す象徴的な事例です。
私が様々な企業で取締役を務める中で、AI人材の獲得に関する議論は常に行われています。全ての企業がこのような大規模な投資を行えるわけではありませんが、必要な人材を確保するためには、従来の報酬水準を大きく超える投資が必要になっています。
人材投資のROIについても、従来とは異なる評価方法が必要です。単なる短期的な収益貢献だけでなく、その人材がもたらす長期的な競争優位性や、組織全体の変革能力への影響も考慮する必要があります。
このような高額な投資は、企業にとって大きな決断を必要としますが、AIによる事業変革を成功させるためには避けて通れません。適切な人材への投資を躊躇することは、長期的には企業の競争力を失うリスクにつながる可能性があります。私たちは、AI人材への投資を単なるコストではなく、企業の将来への重要な戦略的投資として捉え直す必要があります。
6. AIガバナンスの確立
6.1. リスクと機会のバランス
前のパネルディスカッションで指摘された重要な点の一つは、技術にガードレールを組み込むことで、チームがイノベーションに専念できるようにするという考え方でした。私はこのアプローチに強く共感します。プライバシー、アルゴリズムバイアス、規制対応といった要素を、技術自体に組み込んでおくことで、チームは自由にイノベーションを追求できます。
これは、私たちがVijayと共に取り組んでいるAIガバナンスの研究プロジェクトでも重要なテーマとなっています。取締役や経営陣、政府関係者など、様々な立場の人々にインタビューを行う中で、AIガバナンスがまさにフロンティアの段階にあることを実感しています。全ての人が手探りの状態で、最適なアプローチを模索している状況です。
特に医療用途や患者データを扱う場合など、結果の正確性が極めて重要な分野では、モデルの出力が実際に正確であることをどのように確保するのか、という課題に直面しています。患者情報を活用して疾病の診断や創薬を行う際には、厳格なリスク管理が必要不可欠です。
しかし、リスク管理を重視するあまり、イノベーションを抑制してはいけません。私たちが目指すべきは、リスクを適切に管理しながら、チームが自由に革新的なアイデアを追求できる環境を作ることです。そのためには、ガバナンスフレームワークを最初から適切に設計し、技術自体に組み込んでいく必要があります。これは単なるリスク管理ではなく、イノベーションを促進するための基盤づくりとして捉えるべきです。
6.2. ボード会議の頻度と特別セッションの設定
私の経験では、AIに関する取締役会での議論は、より頻繁に、より深い形で行われる必要があります。実際に、私が関わっている企業では、取締役会でAIについてより多くの時間を割くようになっています。
多くの企業では、技術委員会がAIの課題を扱っています。しかし、AIの重要性を考えると、独立したAI委員会が必要かどうかの検討も始まっています。ただし、私たちはまだ明確な結論には至っていません。重要なのは、取締役会レベルでAIについて十分な時間を確保し、深い議論ができる場を設けることです。
私が取締役を務める企業では、特別な深掘りセッションを設定しています。私たちはある特定のテーマに一日、場合によっては二日を費やして集中的に議論します。例えば、R&Dの深掘り、AIの深掘り、あるいは特定の技術トピックの深掘りといった形です。これらのセッションでは、第三者の知見も積極的に活用し、業界の動向や潜在的な破壊的イノベーションについて理解を深めています。
このような特別セッションは、通常の取締役会では十分に扱えない重要なトピックについて、より深い議論と理解を可能にします。チームが適切なサポートを得て、十分な時間をかけて検討できるよう、これらのセッションを効果的に運営することが重要です。
6.3. シナリオプランニングの重要性
シナリオプランニングは、AIがもたらす不確実な未来に備えるための重要なツールです。私の経験では、最高のシナリオプランニングでさえ完璧ではありませんが、このプロセスを通じて「What if(もし〜だったら)」という問いを探求することで、より良い準備が可能になります。
私たちは、サイバーセキュリティの分野で行うような第三者によるテーブルトップ演習のアプローチを、AIの文脈でも活用すべきだと考えています。第三者を招いてAIに関する演習を行い、自社の技術、業界の動向、潜在的な破壊的イノベーションについて客観的な視点を得ることが重要です。
チームが適切な問いを投げかけることさえ難しい場合があるため、第三者の知見は特に重要です。彼らは、私たちが気づいていない視点や、考慮していない可能性を指摘してくれます。これは、Target社でのデジタル介入の際に学んだ教訓でもあります。内部の視点だけでは、業界の変化を正確に捉えることは困難です。
シナリオプランニングを通じて、私たちは不確実性に対する準備を整え、より柔軟な対応が可能になります。これは単なるリスク管理ではなく、機会を見出し、イノベーションを促進するためのツールとして活用すべきです。定期的なシナリオプランニングの実施により、組織全体のAIへの理解と準備態勢を継続的に向上させることができます。
7. 実装に向けた具体的アプローチ
7.1. サードパーティの活用方法
サードパーティの活用は、特に技術変革期において極めて重要です。私たちがTarget社で2009年に実施したデジタル介入の経験から、外部の視点がいかに重要かを学びました。南カリフォルニアのリッツカールトンで実施した経営陣との特別セッションでは、第三者の専門家を招き、データと分析を共有してもらいました。これにより、業界の変化に対する客観的な視点を得ることができました。
外部専門家を選ぶ際の重要な基準は、その分野での深い専門知識だけでなく、私たちの業界の文脈を理解し、実践的な示唆を提供できる能力です。例えば、私たちのAIガバナンス研究プロジェクトでは、政策立案者から技術専門家まで、様々な立場の専門家と協働しています。
効果的な協業モデルを構築するためには、単なるコンサルテーションを超えて、より深い関係性を築く必要があります。Target社での経験から、私たちは24,000時間に及ぶ詳細な調査を実施しましたが、これは外部の専門家との緊密な協力なしには実現できませんでした。
現在のAI実装においても、同様のアプローチが必要です。特に、内部のバイアスや近視眼的な見方を克服するために、外部の客観的な視点は不可欠です。サイバーセキュリティの分野で行うようなテーブルトップ演習を、AI戦略の文脈でも実施することで、より包括的な視点を得ることができます。
7.2. 技術委員会とAI委員会の役割
私の経験から、多くの企業では既存の技術委員会がAIに関する課題を扱っています。しかし、AIの重要性と独自性を考えると、独立したAI委員会の必要性についても検討を始めるべき時期に来ています。
私たちが直面している課題は、委員会の構成と責任範囲をどのように定義するかです。例えば、私が関わっている取締役会では、専門の技術委員会を通じてAIを監督していますが、その範囲は常に進化しています。今では単なる技術的な監督を超えて、戦略的な方向性の設定やリスク管理まで、より広範な責任を担うようになっています。
効果的な運営のために、私たちは委員会での議論の時間を確保することに特に注意を払っています。通常の取締役会では十分な時間が取れないため、特別な深掘りセッションを設定し、AIに関する重要なトピックについて集中的に議論する機会を設けています。
しかし、委員会の構造について、私たちはまだ明確な結論には至っていません。AIガバナンスはまだフロンティアの段階にあり、最適な委員会構造は企業の状況や業界によって異なる可能性があります。重要なのは、AIに関する議論と意思決定が適切なレベルで行われ、十分な時間と注意が払われることです。
7.3. 経営陣の認知バイアスへの対処
私がTarget社での経験から学んだ最も重要な教訓の一つは、経営陣の認知バイアスがいかに大きな影響を及ぼすかということでした。2014年のセキュリティ侵害事件の際、私たちは24,000時間に及ぶ詳細な調査を実施しました。その結果、私たちは自社を業界最高の小売業者と考え、内部バイアスと業界に対する近視眼的な見方を持っていたことが明らかになりました。
このような認知バイアスは、AIの文脈においても同様の危険をはらんでいます。PIMCOのチーフエコノミストが指摘したように、私たちは経営陣のバイアスについて十分に認識していない傾向があります。経営陣は自社の能力を過大評価し、変革の必要性を過小評価しがちです。
客観性を確保するための一つの方法は、外部の視点を積極的に取り入れることです。私たちは第三者を招いて演習を行い、業界の動向や潜在的な破壊的イノベーションについて、客観的な視点を得るようにしています。これは、内部のバイアスを克服し、より広い視野を獲得するための効果的な方法です。
意思決定プロセスの改善には、経営陣自身がこれらのバイアスを認識し、それを克服しようとする意識的な努力が必要です。私の経験では、確信に満ちた意見であっても、それが内部バイアスに基づいている可能性を常に考慮する必要があります。特にAIのような急速に進化する分野では、このような自己認識と謙虚さが極めて重要です。
8. 将来展望と課題
8.1. 業界構造の変化予測
インテルの事例は、業界構造の変化がいかに劇的なものになり得るかを示す重要な教訓です。かつて半導体業界の絶対的な王者であったインテルは、現在では影のような存在となっています。一方で、NVIDIAは3兆ドル規模の企業へと成長しました。
業界研究によると、このような構造変化は最初にスタック下層、つまりインフラや基盤技術の層で感じられ始めます。これはブルウィップ効果と呼ばれる現象です。エンドユーザーはその影響を後から感じることになりますが、基盤技術を提供する企業は最初にその変化の波を受けることになります。
私が経験している様々な産業において、AIによる変革は従来の業界の境界線を曖昧にし、新たな競争環境を生み出しています。例えば、CrowdStrikeのようなAIファースト企業は、既存の業界構造を根本から覆す可能性を持っています。また、AbbVieのような伝統的な企業でも、AIを活用することで創薬プロセス全体を変革しようとしています。
このような変化に対して、既存企業は単なる防衛的な対応ではなく、より積極的な変革が必要です。インテルの事例が示すように、業界のリーダーであっても、技術の大きな転換点を見誤ると、急速に競争力を失う可能性があります。モバイル革命を逃したインテルのように、AIの波を逃すことは企業の存続にも関わる重大な問題となり得ます。
8.2. 企業の存続に関わる重要性
私は確信を持って言えます。この変革に適切に対応できない企業は、確実に市場から退出することになるでしょう。一方で、私たちが今は知らないような新しい企業が台頭してくることも間違いありません。これこそが技術変革の興奮する側面であり、同時に警戒すべき側面でもあります。
企業の存続にとって、AIへの投資は避けて通れません。これは単なる技術投資だけでなく、適切な人材への投資、トレーニングへの投資など、包括的な投資が必要です。例えば、私が関わっているAbbVieでは、大量の人材を採用する必要があり、シリコンバレーの企業と競合しながら、いかに必要な人材を確保するかが重要な課題となっています。
失敗のコストは、単に市場シェアの喪失にとどまりません。Target社とAmazonの例が示すように、技術変革への対応の遅れは、企業の成長軌道に決定的な影響を与えます。2009年以降のわずか15年間で、両社の企業価値の差は劇的に広がりました。これは、デジタル革命への対応の違いがもたらした結果です。
成功の鍵となるのは、アカデミア、ビジネス、政府のいずれにおいても、自己投資を行い、組織を変革する意志を持つことです。私のキャリアの中で経験してきた様々な技術革新の中で、AIほど重要な変革はありません。企業がAIを戦略の中核に据え、必要な投資を行い、組織全体で変革に取り組むことが、今後の存続と成功にとって決定的に重要になると確信しています。
8.3. ガバナンスフレームワークの進化
私たちはVijayと共に、AIガバナンスに関する研究プロジェクトに取り組んでいます。この研究を通じて、AIガバナンスは現在まさにフロンティアの段階にあることが明確になってきました。取締役、経営陣、政府関係者など、様々な立場の人々にインタビューを行っていますが、全ての人が手探りの状態で最適なアプローチを模索している状況です。
現在のガバナンスフレームワークの主な限界は、AIの急速な進化のスピードに追いついていないことです。従来の年次や四半期ベースの見直しサイクルでは不十分で、より機動的な対応が必要です。私たちの経験では、3ヶ月という短期間でさえ、戦略の大幅な見直しが必要になることがあります。
将来の方向性として、私たちはより柔軟で適応的なガバナンスフレームワークの構築を目指しています。例えば、AIに関する特別セッションの定期的な開催や、第三者の知見を活用したシナリオプランニングの実施など、より動的なアプローチが必要です。
具体的な改善領域としては、プライバシーやアルゴリズムバイアスへの対応を技術自体に組み込むアプローチが重要です。これにより、チームは守るべき基準を理解しながら、より自由にイノベーションを追求できるようになります。また、取締役会レベルでのAIへの理解を深め、より効果的な監督と支援を可能にするための継続的な教育も不可欠です。このガバナンスフレームワークは、単なる規制や制限ではなく、イノベーションを促進するための基盤として機能する必要があります。