※本記事は、MIT Sloan Management Review(MIT SMR)が公開する「Me, Myself and AI」の特別エピソードとして配信された、Modern CTOポッドキャストの内容を基に作成されています。本エピソードではボストン大学のSam Ransbotham教授が、企業におけるAI導入の課題や、ビジネスプロセスと生活の質を向上させるテクノロジーの可能性について語っています。エピソードの詳細情報はMIT SMRのサイト(https://mitsmr.com/4eAiEIg )でご覧いただけます。 本記事では、ポッドキャストの内容を要約しておりますが、原著作者の見解を正確に反映するよう努めています。ただし、要約や解釈による誤りがある可能性もありますので、正確な情報や文脈については、オリジナルのポッドキャストをお聴きいただくことをお勧めいたします。 なお、MIT SMRは、変革期におけるリーダーシップとマネジメントの在り方を探求し、技術、社会、環境の変化によって組織の運営、競争、価値創造が再形成される中で、思慮深いリーダーたちが直面する課題と機会について考察を提供しています。
1. AIの成功率と基本要件
1.1. 10%の成功率の真意
Sam Ransbotham:私たちの研究では「AIで成功している企業は10%」という数字を出していますが、これはマーケティング的な表現であることを認めなければなりません。皆さんの注目を集めるために、このような統計を前面に出す必要があったのです。しかし、この数字には重要な意味があります。
実際の研究データでは、11%の企業が人工知能から「著しい財務的利益」を得ているという結果が出ています。ここで重要なのは、残りの企業が「失敗している」というわけではないという点です。むしろ、何らかの利益は得ているものの、社会で広く期待されているような「AIが全てを変える」というレベルには至っていないということです。
Joel Beasley:その10%という数字に私は興味を持ちました。LinkedInか何かでブラウジングしていた時に、「なぜ企業の10%しかAIで成功していないのか」というタイトルを見つけ、それがきっかけでこの研究に興味を持ちました。
Sam Ransbotham:これは二者択一の状況ではありません。「成功」か「失敗」かという単純な区分けではなく、むしろ企業がAIから得られる利益の程度の違いを示しているのです。現在、私たちが目にしている多くのAI導入事例は、期待値と現実のギャップを示しています。この数字が示すのは、AIの潜在的な可能性と、現状の活用レベルとの差であり、決して「失敗」を意味するものではありません。
このギャップを理解することは、今後のAI導入を検討する企業にとって重要な示唆を与えます。期待値を適切に設定し、段階的な成果を評価していくアプローチが必要なのです。
1.2. 成功のための基本的要件
Sam Ransbotham:私たちの研究から、AI導入において成功を収めている企業とそうでない企業の違いを分析した結果、いくつかの基本的な要件が明らかになりました。これらは当然予想されることかもしれませんが、非常に重要な要素です。
まず第一に、技術的なインフラストラクチャーの整備が不可欠です。複雑な機械学習モデルを運用しようとする場合、古いバージョンのExcelが動作する旧式のPCでは全く不十分です。適切なインフラ環境なしでは、高度なAIツールを効果的に活用することは不可能です。
次に、人材の問題があります。これらのツールを使いこなせる適切な人材が必要不可欠です。技術スタッフの確保と育成は、AI導入成功の鍵となる要素の一つです。
さらに、明確な戦略と方向性も重要です。しかし、ここで強調しておきたいのは、これらの要素は必要条件ではありますが、決して十分条件ではないという点です。つまり、これらの基本的な要件を満たしただけでは、まだ道半ばということです。
私たちの研究では、10%の成功企業になるためには、これらの基本的な構成要素を整えた上で、さらに多くのステップが必要であることが分かっています。例えば、既存のビジネスプロセスにAIを単純に適用するだけでは、著しい成果を上げることは困難です。基本要件の整備は、あくまでもスタート地点に立つための条件なのです。
これらの要素は、私たちが「人材」「インフラ」「戦略」と呼ぶ基本的な構成要素であり、これらを適切に組み合わせることが、AI導入の成功への第一歩となります。しかし、そこからが本当の意味での挑戦の始まりなのです。
2. AIの実装における課題と教訓
2.1. 既存プロセスの単純なAI化の問題
Sam Ransbotham:医療業界における興味深い事例を通じて、既存プロセスの単純なAI化の問題点を説明したいと思います。まず、FAX機の歴史についてお聞きしたいのですが。
Joel Beasley:私の予想では1960年代から1980年代の間だと思います。
Sam Ransbotham:実際は1860年代なんです。これは電話が発明される前の時代で、電信を使って通信していた時代の技術です。この話には重要な意味があります。現在、FAXを最も頻繁に使用している産業の一つが医療業界です。彼らは今でも情報をFAXで送受信し続けています。
医療分野では、AIを使用してFAXの画像をスキャンし、光学文字認識(OCR)やテキスト解析で情報を抽出する取り組みが行われています。一見、これは人工知能の素晴らしい活用例に見えます。誰もFAXで受け取った情報を手動で再入力したくないですからね。
しかし、ここで重要な問題提起をしたいと思います。そもそも、なぜFAXを使用する必要があるのでしょうか?なぜコンピュータシステム間で直接情報をやり取りできないのでしょうか?これこそが本質的な問題です。
Joel Beasley:そうですね。私の兄弟と義理の母は医師なのですが、彼らのオフィスでFAX機を見た時、医療記録の全ページがFAXで送られてくるのを見て驚きました。誰かがこの問題を解決するテクノロジーを作る必要があると感じました。
Sam Ransbotham:さらに皮肉なことに、データは既にコンピュータシステムに存在しているのです。それを印刷し、FAXで送信し、別のコンピュータシステムに再入力するというプロセスを踏んでいます。FAXは、このプロセスにおいて不必要な中間ステップなのです。
これが、単純にAIを既存のシステムに適用するだけでは、トップ10%の成功企業には入れない理由です。確かに、FAXの内容を手動入力する手間を省くことで、コスト削減は実現できます。しかし、そのプロセス自体を見直し、より効率的なシステムを構築することで得られる価値の方が遥かに大きいのです。つまり、既存のプロセスを単にAI化するのではなく、プロセス自体を根本的に見直す必要があるということです。
2.2. AI人材育成のアプローチ
Sam Ransbotham:私はボストンカレッジで機械学習と人工知能のクラスを教えていますが、人材育成において興味深い発見がありました。
内部人材の育成と外部からの調達については、ビジネスにおいて常に明確な答えがあるわけではありません。「必ず内部で育成すべき」とか「必ず外部から調達すべき」という単純な答えは存在しないのです。ただし、技術がますますコモディティ化している現在、組織固有の知識がより重要になってきています。これは内部育成の重要性を示唆する要因の一つです。
私の授業では、学生たちはPythonの基礎知識を持っていることが前提です。プログラミングについて理解していることが重要ですが、実は授業で学生たちが発見するのは、AIプロジェクトの大部分がデータのクリーニングと準備に費やされるという現実です。モデルを実行するボタンを押すのは、ただ待つだけの作業です。その準備作業の多くは、利用可能なスクリプトに組み込まれています。
Joel Beasley:それは興味深いですね。実際、2-3年前に私がインタビューした企業の中には、データの整理、ラベリング、モデリング、そしてすべてをクリーンアップするビジネスを展開している会社がありました。それが彼らのビジネスの全てだったのです。
Sam Ransbotham:そうです。実践的なAI教育において、私たちは画像分類や手書き数字の認識など、実際の問題に取り組みます。興味深いことに、学生たちは自分のラップトップと無料でダウンロードしたコードを使って、わずか5-6年前のコンテスト優勝レベルの精度を達成できるようになっています。これは私が素晴らしい教師だからではなく、ツールが非常に進化したからです。
このような実践的なアプローチを通じて、学生たちは理論だけでなく、実際のAIプロジェクトで直面する課題や解決方法を学んでいます。重要なのは、コーディングスキルよりも、批判的思考能力を育成することです。なぜなら、これらのモデルを使用したことがある人は増えていますが、自分でMLモデルを構築できる人はまだ少数派だからです。
3. AI技術の民主化と影響
3.1. 技術のコモディティ化
Sam Ransbotham:実際に私の授業で学生たちと行っている画像分類の実験について、非常に興味深い発見がありました。学生たちは自分のラップトップと、インターネットから無料でダウンロードしたコードを使って、数年前であればコンテストで優勝できるレベルの精度を達成できるようになっています。これは私の教育能力が優れているからではなく、技術のコモディティ化が急速に進んでいることを示しています。
私の機械学習と人工知能のクラスでは、学生たちにPythonの基礎知識があることを前提としています。しかし、ツールの進化により、コーディングスキルよりもプロンプトエンジニアリングや批判的思考能力の重要性が増しています。
Joel Beasley:実際、私も10年近く大規模言語モデルの進化を追跡してきました。昨年のGPTの公開後、興味深い現象が起きています。多くの専門家が二極化しました。一方では、完全に無視して「人間にはできないことだ」と頭を砂に埋めるような人々がいます。また、一度試して完璧でないことを理由に、エコシステム全体を否定する人々もいます。
Sam Ransbotham:そうですね。技術のコモディティ化は、組織における価値創造の方法を根本的に変えています。以前は特別な技術や高価な設備が必要だったものが、今では誰でもアクセス可能になっています。しかし、これは逆に組織固有の知識やその活用方法の重要性を高めています。技術自体は容易に入手できるようになりましたが、それを効果的に活用するための組織的な能力が、より重要な差別化要因となっているのです。
教育の現場でも、このような変化に対応する必要があります。私たちは、単なる技術の使い方だけでなく、それを効果的に活用するための批判的思考能力や、組織の文脈の中で適切に適用する能力を育成することに重点を置いています。なぜなら、技術が民主化されればされるほど、その活用方法における創造性や戦略的思考の重要性が増すからです。
3.2. GPTの組織への影響
Joel Beasley:当社では、GPTを導入したことで年間約10万ドルのコスト削減を実現しています。この成果に至るまでの道のりは興味深いものでした。私は7-10年にわたって大規模言語モデルの進化を追跡してきましたが、昨年のGPTの公開時には、最初は懐疑的でした。「そこまで素晴らしくない」と考えていました。
しかし、他の人々がより高度な使い方をしているのを目にして、自分の理解が不十分だったことに気づきました。そこで、もう一度GPTについて学び直すことにしました。その結果、私たちの組織にとって非常に有益なツールとなりました。
具体的な活用方法として、私たちはSlackにGPTの専用チャンネルを設けています。そこでは、プロデューサー間でGPTの効果的な使用方法に関する知識を共有し、特に有用なプロンプトをピン留めして保存しています。例えば、新しいGPT会話を始める際には、ベースとなる知識を記載した文書を最初に入力し、その後で特定の質問をすることで、望ましい出力を得られるようにしています。
これは組織全体の知識共有とワークフローの改善に大きく貢献しています。例えば、Joshと私は1-2年前に、AI技術がオーディオのポストプロダクションの品質向上に十分なレベルに達したと判断し、ワークフローを変更しました。手作業での音声編集から、AIによる音声処理を活用し、その分の時間を会話の編集やフローの改善に充てるようになりました。
Sam Ransbotham:その点について補足させていただくと、組織文化への影響も重要です。私たちの研究では、従業員の73%がAIに自分の仕事の一部を任せたいと希望し、33%が不安を感じているという結果が出ています。これは、多くの人々が付加価値の低い作業からの解放を望んでいることを示しています。
例えば、私の場合、学生から「授業を休んだけど何か重要なことがありましたか?」というメールへの対応など、定型的な作業にAIを活用できれば、より創造的な仕事に時間を使えます。組織におけるAIの活用は、単なる効率化だけでなく、人々の仕事の質的な変革をもたらす可能性があるのです。
4. AIがもたらす雇用への影響
4.1. 3つの主要なシナリオ
Sam Ransbotham:AIがもたらす雇用への影響について、私たちの研究では3つの主要なシナリオが浮かび上がってきました。
第一のシナリオは、機械が直接的に人間の仕事を代替するというものです。これは最も注目を集めているシナリオですが、実は私はこのシナリオの実現可能性にはやや懐疑的です。完全な仕事の代替というのは、現実にはそれほど簡単には起こらないと考えています。
第二のシナリオは、より現実的で差し迫った問題です。これは、AIツールをより効果的に使用できる人が、そうでない人の仕事を奪うというものです。実際に、さまざまなツールが利用可能になり、それらの使い方を学び、より生産的になった人々が、そうでない人々よりも魅力的な人材として評価されるようになっています。つまり、「機械が人間を置き換えるのではなく、機械を使う人間が使わない人間を置き換える」という状況です。
Joel Beasley:その通りですね。私たちの会社でも、GPTの活用で年間10万ドルのコスト削減を実現していますが、これは技術を効果的に活用できる人材がいたからこそ可能になりました。
Sam Ransbotham:第三のシナリオは、組織レベルでの淘汰です。これは特に重要です。AIテクノロジーを採用する組織のコスト構造が大幅に改善され、採用しない組織が競争力を失うというシナリオです。この場合、個人レベルではなく、組織全体が市場から撤退を余儀なくされ、大規模な雇用喪失につながる可能性があります。
Joel、あなたが言及した10万ドルの削減は、まさにこの点を示しています。誰かがその10万ドルを支払い続けているわけですが、そのような状況は長く続かないでしょう。競合他社があなたの会社のように効率化を進めれば、その差は市場での競争力に直接影響を与えることになります。
実際の影響度を見ると、最初のシナリオは注目を集めていますが、2番目と3番目のシナリオの方が現実的な脅威となっています。企業は個々の従業員のAIリテラシー向上と、組織全体としてのAI活用戦略の両方に取り組む必要があります。特に、組織レベルでの競争力維持は、雇用全体に関わる重要な課題となっています。
4.2. 変化のスピード
Joel Beasley:AIがもたらす変化のスピードについて、私は従来の技術革新とは大きく異なる特徴があることに気づきました。例えば、馬車から自動車への移行期には、社会が適応するための1-2年という移行期間がありました。同様に、インターネットの登場時には、多くの人々が郵便システムの終焉を予測しましたが、実際には配送需要の増加によって、郵便システムはむしろ発展しました。
しかし、AI技術による変革は、これらの歴史的な例とは異なります。最も重要な違いは、展開のスピードです。例えば、ある業界の30%の雇用が突然なくなるような状況が、予告もなく一晩で起こる可能性があります。このような急激な変化に対して、私たちの社会システムは十分な準備ができているでしょうか。
Sam Ransbotham:その通りです。6ヶ月前には、AIの開発を一時停止しようという呼びかけがありました。しかし、これは囚人のジレンマのような状況です。技術的に先行している組織は一時停止を望み、遅れている組織は一時停止に興味を示さないという構図が見られます。また、物理的な製品と異なり、AI技術は純粋な情報財として国境を越えて急速に拡散します。
これは単なる技術の進化速度の問題ではありません。社会システムの適応能力の問題でもあります。従来の技術革新では、社会が適応するための時間的余裕がありました。しかし、AI技術の場合、その変化があまりにも急激であるため、従来の社会システムでは対応が追いつかない可能性があります。
特に懸念されるのは、一度変化が始まると、その影響が加速度的に広がっていく点です。技術の展開スピードと社会の適応能力とのギャップは、今後さらに広がる可能性があり、これは私たちが真剣に考えなければならない課題です。
この変化のスピードは、特に雇用市場において重要な意味を持ちます。組織や個人が新しい状況に適応するための時間的余裕が大幅に減少しており、これまでの技術革新とは異なるアプローチでの対応が必要となっています。
5. AI規制と監督の課題
5.1. 歴史的な規制モデル
Sam Ransbotham:私たちは新しい技術への対応において、豊富な歴史的経験を持っています。特に興味深い事例を紹介させていただきます。
1906年、アプトン・シンクレアは『ジャングル』という本を書きました。これはシカゴの食肉加工産業の実態を暴露した作品です。当時、誰も食肉加工工場の内部を見ることができず、ただ食べた後に病気になるという結果だけを知っていました。その状況は完全に隠蔽されていたのです。
しかし、現在では状況は一変しています。私たちはほとんどどんな食品でも安心して口にすることができ、どのレストランでも食事をしても病気になる心配はほとんどありません。年に一度程度、大腸菌による食中毒事件などがニュースになりますが、これらはむしろ例外的な出来事として扱われます。なぜなら、食品包装や飲食店に関する監督とトラストの体制が確立されているからです。
また、私は以前、国際原子力機関(IAEA)の査察官として国連で働いていました。人々は核兵器の開発を望んでいません。そこで、査察や検査のインフラを整備し、さらに原子力発電所の運営情報を提供するというインセンティブと規制を組み合わせたアプローチを採用しました。これにより、原子力発電所の爆発事故を防ぐことができています。
これらの例が示すように、私たちには強力で危険な可能性を持つ技術を規制してきた豊富な経験があります。例えば、企業の会計帳簿を直接確認できなくても、会計士による監査を信頼して株式投資ができるような仕組みも確立しています。
しかし、現在のテクノロジー産業、特にAI開発に関しては、このような監督体制が全く整っていません。これらのモデルは全て、閉ざされた扉の向こうで開発されています。OpenAIという名前を例に取ってみても、「Open」という言葉とは裏腹に、実際の開発プロセスは必ずしもオープンではありません。AIについては議論の余地がありますが、少なくとも「Open」の部分は失われているのが現状です。
これらの歴史的な規制モデルから学び、AIの文脈に適用可能な監督の仕組みを構築していく必要があります。私たちは新しい技術の規制について、一から始める必要はありません。過去の成功事例から学び、それを現代の課題に適応させることが重要です。
5.2. AI特有の規制課題
Sam Ransbotham:AIの規制について考える際、従来の物理的製品とは異なる特有の課題があります。先ほど例に挙げた食肉産業や原子力発電所の規制とは、本質的に異なる面があるのです。
最も重要な違いは、AIが純粋な情報財であるという点です。物理的な製品と違い、国境を越えて瞬時に拡散する可能性があります。これは規制の実効性を確保する上で大きな課題となっています。6ヶ月前にAI開発の一時停止を求める声があがりましたが、これは典型的な囚人のジレンマの状況を生み出しました。技術的に先行している組織は一時停止を望み、遅れている組織はそれに興味を示さないという構図です。
Joel Beasley:技術の急速な進歩と拡散のスピードは、確かに規制を困難にしていますね。私たちの組織でも、新しいAIツールの採用について慎重に検討する必要がありました。
Sam Ransbotham:その通りです。さらに、OpenAIを例にとってみましょう。名前に「Open」という言葉が含まれているにもかかわらず、実際の開発プロセスは必ずしもオープンではありません。これは、AI業界全体の透明性の問題を象徴しています。
モデルの開発が閉ざされた扉の向こうで行われている現状では、適切な監督や規制が困難です。私たちは、会計監査のように、第三者による検証と監督の仕組みを確立する必要があります。しかし、AIの場合、その仕組みをどのように設計し、実装するかは非常に複雑な課題です。
技術の進歩が速く、影響が広範囲に及ぶAIでは、透明性の確保が特に重要です。しかし、知的財産の保護と透明性の確保という相反する要求をどのようにバランスさせるのか、また、国際的な規制の枠組みをどのように構築するのかという課題は、まだ解決されていません。これらの課題に対して、新しい形の規制モデルを考案していく必要があります。
6. 教育とAIの未来
6.1. 学習者の変化
Sam Ransbotham:教育者として10年以上の経験を持つ中で、学生たちの変化を目の当たりにしてきました。最も顕著な変化は、学生たちが非常に早い段階でテクノロジーに触れるようになっていることです。
これにより、教育現場では非常に興味深い現象が起きています。学生たちは、私たちが以前は教える必要があったスキルセットを、すでに身につけた状態で入学してくるようになりました。これは一見よい傾向に思えますが、新たな課題も生んでいます。
特に懸念しているのは、学生間の知識やスキルの差が著しく拡大していることです。一方では、テクノロジーに非常に精通し、すでに驚くべき能力を持って入学してくる学生がいます。正直なところ、そういった学生たちに私が教えられることがどれほどあるのか、時に疑問に感じることさえあります。その一方で、技術的な理解がますます不足している学生たちもおり、その差は年々広がる傾向にあります。
この状況は、従来の教育手法の限界を浮き彫りにしています。従来の教育では、ベル曲線の中心に向けて教えることが効果的でした。つまり、クラスで同じトピックについて話すと、2-3人は退屈し、2-3人は理解が追いつかないかもしれませんが、大多数の学生には適切な内容となっていました。
しかし、現在ではこのベル曲線自体が大きく広がってしまっています。同じ「スライス」の内容を教えても、より多くの学生が両極端に分かれてしまい、効果的な教育が難しくなっています。退屈を感じる学生と、理解が追いつかない学生の数が増加しているのです。
この課題は、単に教育方法の問題だけではありません。私たちが教える側として、どのように価値を提供できるのかという根本的な問題を投げかけています。「知識の与え手」として学生を「空の器」とみなす従来の考え方は、もはや適切ではありません。この分野には豊富な研究の蓄積がありますが、新しいアプローチが必要とされているのです。
6.2. AIを活用した教育の可能性
Sam Ransbotham:AIを活用した教育の可能性について、私は非常に楽観的な見方をしています。Duolingoの例を見てみましょう。このアプリの目的は単なる言語翻訳ではなく、ほとんどの場合、英語学習を助けることです。AIを活用することで、カスタマイズされた言語指導をスケーラブルに提供することができます。システムは学習者が何を知っているか、何が苦手か、何が得意かを正確に把握し、それに応じた学習内容を提供します。
これは、従来の教育方法と比べて革新的です。例えば、教師が長年の経験を通じて効果的な教授法を見つけ出したとしても、その知識を広く展開することは困難でした。しかし、Duolingoのような AIシステムでは、より効果的な学習方法が発見されれば、翌日には世界中の学習者がその恩恵を受けることができます。
もう一つの興味深い例として、スキーブーツにセンサーを組み込んでリアルタイムでスキーヤーの動きをモニタリングする取り組みがあります。これは、ディック・フォスベリーが高跳びで革新的な背面跳びを開発した際の知識伝播とは全く異なります。フォスベリー・フロップと呼ばれるこの技術が世界中の高跳び選手に広まるのに約2年かかりましたが、現代のAIシステムでは、誰かが革新的なスキーテクニックを開発した場合、エンジニアがそれを分析し、翌日には他のスキーヤーにアドバイスとして提供することができます。
実際の教室でも、AIの活用は学習体験を大きく変えつつあります。私の授業では、AIに課題の主題歌を作らせたり、詩を書かせたりすることがあります。AIは私よりもはるかに上手にこれらをこなします。そして、それは全く問題ありません。なぜなら、それによって私は、より価値のある教育活動に時間を使うことができるからです。
Jay-Z のような裕福な人々は、常に個人トレーナーを雇って適切なタイミングでフィードバックを得ることができます。しかし、一般の人々にとって、運動を始めようと思い立った時に、すぐにトレーナーが見つかるわけではありません。ここでAIの力を活用することで、「それってプランクじゃないでしょう」とか「12回のプッシュアップと言いましたが、6回しかできていませんよ」といった、リアルタイムのフィードバックを提供することができます。
現時点でのAIは、人間のパーソナルトレーナーほど優れているわけではありませんが、常に利用可能で、各個人の状況に合わせたカスタマイズされたサポートを提供できるという大きな利点があります。これこそが、AIを活用した教育の真の可能性なのです。学習者一人一人に合わせた、スケーラブルでパーソナライズされた教育支援を実現できるのです。